浦安を歩いてきた。
クリスマスの日、仕事を休んで浦安を歩いてきた時のことを書く。
浦安といえば、一般的には、広大な埋立地と、そこにある「夢の国」と称して善良な親子から金を巻き上げるD帝国のイメージが強いだろう。
しかしながら、東京メトロ東西線の浦安駅周辺は古くから陸地であり、かつてはのどかな漁村集落であったらしい。
そのことを随分前に放映されたNHK「ブラタモリ」で知り、いつか歩いてみたいと思っていたが、つい先日のクリスマス、ふと思い立ち、仕事を休んで歩いてきた。
浦安は、我が家がある神奈川県伊勢原市から、電車で2時間近くかかる。
その道中、改めて浦安駅周辺の地図を眺めると、道路が不規則に入り乱れており、水路もいくつか現存するということで、否が応でも期待が高まる。
その一方で、以前から気になっていた「魚市場」のことを調べてみると、何と今年の3月末で閉鎖したとのことで、大きな衝撃を受けた。ああ、昼食は魚市場でと密かに期待していたのに。。。
浦安魚市場が3月31日で閉場。跡地はどうなる? | 浦安に住みたい!web
とにもかくにも、まずは浦安駅で下車して、すぐ北側の旧魚市場に向かった。
既に魚市場が入居していたビルは取り壊され、周囲に残された飲食街と商店街もかなり寂れていた。
というか、明らかに資材の撤収と思しき風景が見られたので、ここも近いうちに再開発の対象となるのかもしれない。
魚市場の末期を見届けた後に、適当に写真を撮りつつ駅の南側に移動する。
さすがに駅周辺は開発が進んでしまっていたが、その片隅に老舗の焼き蛤屋さんを見つけた(が、売れ切れで買えなかった)。
まずは神社を目指すのがよかろうと思い、漁村地区の東寄りにある清龍神社にやってきた。
年始に向けた準備の様子を眺めながら奥に進むと、なかなか見事な「富士塚」があった。この上から現在も富士山が見えるかどうか確かめてみたかったが、残念ながら立ち入り禁止だった。
神社の門前には、銭湯と掘割(境川)、そして参道と思しき良い感じの道が伸びている。
この道をまっすぐ進むと、銭湯がさらに2軒(うち1件は廃業と思われる)、良い感じの洋風建築などが点在していて、かつてメインストリートだったであろうという風情が漂う。
そのまま500mほど進むと道路は左に折れ曲がった。
現在は見ての通り風情のかけらも無いが、折れ曲がりの角に小さなお寺があるので、かつては味わい深い「辻」の風景が見られたのではないかと想像される。
境川を超える橋から、いかにも老舗っぽい煎餅屋が見えたので、家族へのお土産がてら買うことにした。いかにも歯ごたえがありそうな煎餅を手に取ると、お店のおばさんが「ご自宅用なら、壊れせんべいのお徳用パックがありますよ」と親切に教えてくれた。
※買った品物(帰宅後撮影)
浦安は昭和46年には漁業権を完全に放棄しており、漁村でなくなってからだいぶ時間が経っている。今日であは分かりやすい漁村風景を見ることはできないが、それ故に、煎餅屋の近くで漁村の残像っぽいものを見ることができたのは嬉しかった。
境川の北側には、古めかしい雰囲気の住宅街が広がる。
平坦な地形にもかかわらず道路が曲がりくねっており、細い路地も多い。取り立てて見どころがある訳ではないが、見えそうで見えない向こう側を探索しながらずんずん進むのが楽しい。
旧市街をひとしきり歩いたので、次は旧江戸川に沿って歩くことにした。
開放的な風景だが、空間を持て余して少し寂しい気分になったので、以前にも増して黙々と歩いた。
なお、期待していた富士山は見えなかった。
堤防を北上して境川を渡ると、船宿のちょっとした密集地帯にたどりついた。
平日(しかもクリスマス)にも関わらず、思いのほか賑わっていて、駐車場は釣り人の車で満杯だった。
ここまでだいたい3時間、その間結局、飲まず食わずだった。
夕方に友人と飲む約束をしていたので、これにて街歩きは終了。
浦安はとても良かった。「また来たいか?」と言われると「正直うーん。。。」という感じだが、何というか、この日の気分にピッタリだった。冬の薄曇りという条件も良かったのではと思う。
おしまい。
追伸
浦安の歴史と地理に関しては、この文章が短いながらもなかなか興味深い。