人の見のこしたものを見るようにせよ。

すべての道は地理に通ず。

自分の酒マリアージュ/ペアリング歴(?)と地理人として考えたこと

(長文です。無駄に長文です。)

なんか昨日から、修羅の世界ツイッターランドで「日本酒ペアリング」の議論(?)が大いに盛り上がっている。
自分は事の発端を知らないし、もちろん全ての発言を見ている訳ではないが、炎上とまでは言わなくとも少々荒れている感じだった。
最初に火をつけたのは日本酒ペアリングに否定的な人たちで、それに対して色々な意見が飛び交っていたようだ。

自分は他の方の議論には直接絡まず傍観していたが、興味のあるテーマなので、たまに自分が思うことをソロでぼそぼそ呟いていた。

実は、自分は「日本酒ペアリング/マリアージュ」が好きだ。
元々料理が好きで、その後に日本酒、さらには他の様々な酒にはまった身としては、当然の流れなのかも知れない。
そういう経緯があるので、自分にとって「日本酒ペアリング/マリアージュ」は、外で「体験する」というよりは、家で「やる」ものだという感覚がある。

では、自分はどのように「酒(日本酒に限らず)のペアリング/マリアージュ」という言葉を使ってきたかと、過去のツイッターを検索してみたら色々と引っかかったので、記事にまとめてみようと思い立った次第。

(注)「ペアリング」と「マリアージュ」は違う概念だという人も多いが、定義が混乱していて未だ定説は無いようだし、自分としては事実上同じ意味だと捉えている。

■過去のツイートに見る自分と「マリアージュ/ペアリング」

「好相性」

ツイッターを始めたのは2010年10月で、日本酒にハマって数年たっていたと思う。
この頃から日本酒と料理を合わせて楽しんでいたが、暫くは「マリアージュ/ペアリング」という言葉は使っておらず、もっぱら「相性が良い/悪い」と表現していた。



特にこの頃は、カレーと日本酒の相性にご執心で、日夜実験を重ねていた模様。

2011~2015年頃は、自分で「マリアージュ」という言葉は使っていないものの、他の方による「マリアージュ」ツイートを引用したりしているので、既にかなり関心を持っていたものと思われる。

タモリ倶楽部と焼酎のマリアージュ


そして、自発的に「マリアージュ」という言葉を使用した初めてのツイートがこれである。
酒と食ではく、酒とテレビ。
今でも、タモリ倶楽部と「焼酎の薄くなったロック」とか「バランタインの薄めの水割り」とかとのマリアージュは最高だと思っている。

「マリアージュは恥ずかしいからペアリング」理論


そして、どうやら2016年には「ペアリング」という言葉に出会っていたようだ。
自分は言葉の「俺定義」を考えるのが好きで、ここでも「ペアリング」の俺定義をカマしている。
うん、なかなか良いこと言うではないか。実は今でも「マリアージュ/ペアリング」の違いなんてその程度だと思っている。

焼酎とラグビー動画のマリアージュ


これは「食と酒」ではないマリアージュの第二弾。
その後、ラグビーのお供の座はウイスキー(スコッチ、アイリッシュ)に取って代わられた。

喧嘩マリアージュ


喧嘩はマリアージュと言えるのだろうか?
格闘技の名勝負を見ているような感じだったのか?

「あー美味い」「あー美味い」の往復


こういうのが一番好きなんですよ。
「凸と凹で合わせる」とか「第三の味を生み出す」とかそういう緻密な感じでなく、何となく共存する感じ。
日本酒(特に火入れの日常的な味わいの酒)ならではでしょう。

「これでいい」マリアージュ


これも上のと同じ路線。
但し、ちょっと「マリアージュ」とか「ペアリング」に疲れてきた雰囲気が漂っている。

「マリアージュ」じゃなくて同調


そこはかとなく漂う「日本酒マリアージュ」に対する疑念。

焼酎と日本酒のペアリング


俺たちの「玉箒」。
たまに液体と液体のペアリングをやってくれるのが楽しい。
「ビールとトマトジュースを交互に飲む」というペアリングもあったな。

焼酎と甘味のマリアージュ


もう最高なんですよ。
甘いものが好きな方は、是非「米焼酎or泡盛×和菓子」を試して欲しい。

そして今晩のペアリング


何事もなければ「マリアージュ」を使っていたと思うが、時代に日和って「ペアリング」を使ってしまった。
自分の「マリアージュ/ペアリング」探求の原点であるカレーに戻ったということで、感慨もひとしお…という程でもない。

結論:日本酒の「ペアリング/マリアージュ」を「やる」のは楽しい

賛成も反対もございません。
自分は自分で楽しむ。
他人のことはどうでも良いです。

■いま日本酒のペアリングについて思うこと

自分が日本酒の「ペアリング/マリアージュ」を考える上でとても参考になった文章を貼る。

出典:日本酒のこれから
日本酒のこれから - ほぼ日の塾 発表の広場

以下、引用。

白樫(剣菱酒造の社長)
日本酒の会を開催するために、
フランスに行く機会も多いんですけど。
その時に、
「日本はこんなにも、
食べ物にうるさいのに、
どうしてソムリエがいないんだろう?」、
と思ったんですね。
ともみ(日本酒ライターの方)
今ようやく試みがあるくらいで、
歴史的にソムリエみたいな人はいませんね。
白樫
考えていくと、日本は、
地元の料理と地元の酒を合わせていたら、
外れることなかったんじゃないか、と。
人の大移動みたいなことも、
そんなにある国じゃないですしね。
ともみ
フランスのワインだと、
ぶどうを育てるのに適しているのは、
痩せた土地ですものね。
他の作物がなかなか育たない。
だから、
よその食べ物と合わせて提案することが、
必要とされたのかもしれませんね。
白樫
酒にその地域性が残っていたのは、
味が集約される前の酒。
たとえば、昔の1級2級の地元の酒。
それって実は今思えば、宝の山だなあと。
初めての土地を訪れて、
地元の居酒屋さんで地元の酒と食事があれば、
100%おいしいものを味わえる。
これって観光資源になるし、面白いですよね。
穂坂(農大の先生)
うんうん。
白樫
フランスで、ソムリエさん相手に、
日本酒の説明をさせてもらったんです。
その時に
「日本酒は地域特性による偏りって、
どれだけ、どうあるんですか?」という質問があって。
ともみ
あちらの方はそういう視点で見ますもんね。
白樫
それが、今フランスに入ってるお酒って、
ほとんどが純米大吟醸系で。
みんな山田錦を使って、かつ香りの華やかなもの。
正直地域特性っていうのは、出にくい。
そういうものが流通しているんです。
穂坂
(地域性は)出にくいですね。
白樫
酒蔵ごとの特性っていうのはありますけど、
「この地域はこうです」っていうのはなかなか。
「あぁ、ないです…」と。
穂坂
そうかもしれませんな。
白樫
「水のミネラルに違いがあるのに、
なぜ偏らないんだ?」って。
本当はあって、日本国内では流通してるんだけど、
今フランスに輸入されている物にはない。
ソムリエさんたちはみんな、
不思議そう、そして残念そうな顔をしました。
ともみ
あぁ…。
白樫
今後は、世界も見ていくからこそ、
もっと地元に目を向けなければならない。
そう最近強く思うんです。
大昔から江戸を見てきたうちが言うのも、
何なんですけど(笑)

引用は以上。

そして、これに対して、地理を専門とする自分としての解釈をつらつらと書く。

安定した大陸であるヨーロッパや米国は、荒野の場所はひたすら荒野、肥沃な場所は延々と肥沃という感じで、一つ一つの地形地質のユニットが大きい。
つまり、狭いエリアだとわずかな種類の産物しか手に入らないので、遠くのもの同士をわざわざ合わせる文化が発達する。

それに対して、4つのプレートの境界にあって地殻変動でもみくちゃにされ続けている日本は、様々なタイプの地形や地質が狭いユニットにひしめいている。
つまり、狭いエリアでいろいろな種類の産物が手に入るので、同じ地域のもの同士で済ませる文化が発達する。

なので、先ほどの対談で交わされていた「環境の違いが飲食の文化に影響を及ぼす」という議論は、とても納得できる。

日本酒でペアリング(マリアージュ)が求められるようになったのは、酒造技術の発達によって「地域から解き放たれたモダンな酒」が出現したからだと思う。
高度な技術によって地域から解き放たれた酒は、その一方で「根無し草」でもある。そこに新たな息吹を与えることが出来るのが「ペアリング/マリアージュ」ではないか、という解釈もできるだろう。

そして、やはり真の「地酒」は地元に残った普通酒であって、そこには「ペアリング/マリアージュ」などは不要なのだと思う。

いやぁ、こういうふうに、誰にも求められていない事をぐちゃぐちゃ考えるのはとても楽しい。

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最後に、これでも読んでほっこりしてくださいませ。
何を吠えても、結局ユーモアには敵いませぬ。。。


<了>