人の見のこしたものを見るようにせよ。

すべての道は地理に通ず。

これはただの音楽本ではなく、日本の未来を照らす勇気と希望の書だ。~榎本幹朗『音楽が未来を連れてくる』の読書録~

本を読み終わって5日。
いまだに感動冷めやらず、暇さえあれば読み返したり、本の内容を基に考え事をしたりしている。
昨年来のコロナ禍で読書量が増え、この1年間で数多くの素晴らしい本と出会ってきたが、その中でも本書は明らかに頭一つ、いや、三つくらい抜けているのではないだろうか。

榎本幹朗『音楽が未来を連れてくる』の内容は、冒頭の一節に凝縮されている。

本書は、音楽産業に次々と襲いかかる未曽有の危機を乗り越え、新たな黄金時代を創っていった革新者たちの魂の軌跡を描いた勇気の書である。過去のみならず、コロナ禍で壊滅的な打撃を受けたこの世界に希望の未来もささやかながら提示してている。

この本は「音楽」ではなく「音楽産業」の本である。
ミュージシャンや楽曲の話題も出るには出るが、超有名どころばかりなので深い知識は必要ない。
知らなければ、YouTubeで音源を聴きながら読み進めれば全く問題はない。

かく言う自分は、そこそこの音楽ファンであると自認している。
高校生の頃から主体的にポピュラー音楽を聴き始め、楽器演奏(ギター)はあまりの才能の無さに早々と諦めたものの、以降30年間、多種多様なジャンルの音楽を聴き続けてきた。
30代に入り、結婚して子供を儲けてからはライトな聴き方をしていたものの、コロナ禍での在宅勤務の増加によって音楽熱を取り戻している。

Twitterのタイムラインに流れてきた本書の案内に興味を惹かれ、電子書籍を購入したのは2月中旬のことだった。
当初はそのボリューム(紙ベースだと600ページ以上!)に圧倒され、後で読もうと放置すること二ヶ月。
4月中旬に思い出し、試しに…と読み始めると、すぐさま本気モードに引きずり込まれた。
仕事と家事の合間、子供が寝た後など、暇さえあれば貪るように読み、わずか5日で読破。

自分がここまでのめり込み、感銘を受けた理由は大きく二つある。
一つ目は、素晴らしい歴史と現在の記述を通じて、時代を超えた普遍的な叡智を与えてくれたこと。
二つ目は、強いメッセージによってコロナ禍による閉塞感を吹き飛ばし、未来へ進む希望と勇気を与えてくれたこと。
前者だけなら、自分の中で読書の歓びを噛み締めつつ、SNSにちょこちょこ感想を書く程度で済ませたと思う。
後者があったからこそ、人に伝えたいと思い、こうして休眠していたブログを叩き起こして書くことにしたのだ。

以下、自分なりに感じた本書の素晴らしさを、5項目にわたって書いていく。

1.「人」を中心に活き活きとした物語を楽しむことができる

「はじめに」に続く本体部分は、誰もが知るエジソンのエピソードから始まる。

一九二八年のことだった。社長室で報告書を眺める”発明王トーマス・エジソンの顔色は優れなかった。「このビジネスは下り坂に入る……」エジソンはひとりごちた。彼の眺めていた書類は、エジソン・レコードの売上報告だった。

歴史の記述の仕方には色々あるが、本書は「人」を中心とする物語形式となっている。
まるで小説を読んでいるように心を躍らせながら、音楽産業の変革の胎動、そして歴史が動く瞬間を楽しむことができる。
ピックアップされている人物は、エジソンソニー創業者の井深大盛田昭夫、アップルのスティーブ・ジョブズといった超有名人も多い。
また、彼らほど有名ではない他の人物についても、エピソードともに生き様がありありとが描かれ、読んでいるうちに親近感が湧いてくる。
自分としては、日本では知名度が低いビル・ローディー(MTVヨーロッパ)とショーン・パーカー(ナップスターFacebookSpotify)の物語がとても刺激的だった。

少しだけ実例を出そう。
Sony盛田昭夫が、誰もその真価を理解していなかったウォークマンのプロトタイプを触り、沈黙の後で「……これは売れる」とつぶやいた場面。
ガンに冒されるなかiPodの開発を決断したスティーブ・ジョブスが、ミーティング中に目に情熱の炎を燃やしながら半ダースあまりのアボカドを鬼のように喰っていた場面。
米国の無料音楽ファイル交換サイト「ナップスター」を敗訴・倒産に追い込んだ弁護士が、息子の友人から「ナップスターの終わりは、音楽の終わりだ……」と聞かされた場面。

このようなエピソードを通じて、革新者たちの圧倒的なビジョン、天才的な閃き、驚異の行動力、抜け目のない計算などが伝わり、自然と物語に引き込まれていった。

2.音楽を窓口としてイノベーション100年の歴史を俯瞰できる

本書の中程に、次のような印象的な一節がある。

音楽は、炭鉱のカナリアのようなところがある。新しい技術革新の荒波に、ほかの産業に先立ってさらされる歴史を繰り返してきた。放送の登場も、ネットの登場も、まず音楽産業に破壊をもたらした。「頭の古い連中だ」とたびたび、ほかの業界から嘲笑された。だが、最初に揉まれるからこそ、いつも新しい常識を音楽が連れてきた。

前半~中盤は「歴史」の記述であり、1920年代の発明王エジソンの時代から、現代までの音楽産業の歴史が丹念に書かれている。
その過程で自然と技術革新の歴史に話が及び、上記の「炭鉱のカナリア」という例えに頷かされれる。

各時代に生まれた通信手段やメディアは、音楽コンテンツが起爆剤となって普及した。
古くはラジオや映画がそうであり、21世紀初頭には「ナップスター」が全米のインターネットとPCの普及率を押し上げた。
現代のYouTubeも音楽動画ツで人気に火がつき、それはいまなお人気コンテンツの一つである。

また、音楽を聴くためのハードウェアの開発は、電子機器の進化をリードしてきた。
終戦直後に開発された「トランジスタ」を爆発的に広め、電子機器の時代へと扉を開いたのは、1958年に発売されたSonyのポケットラジオだった。
いま注目を集めている「ブロックチェーン」の技術的源流は、2000年前後に全米で一世を風靡した音楽ファイル交換サービス「ナップスター」だった。

自分はどちらかと言えば科学技術オンチだが、このような親しみやすい音楽の話題を窓口として技術革新100年の歴史を俯瞰できたことは、大きな喜びであり目から鱗であった。

3.コンテンツ産業のビジネスモデルを知ることができる

形あるハードの売買と比べて、コンテンツ(ソフト)産業のビジネスモデルは複雑で分かりにくい。
最も古いコンテンツ産業は書籍だと考えられるが、21世紀に電子書籍が普及するまでは、形ある商品として流通していた。
それに対して音楽は、1920年代後半ラジオの登場によって、早くも「形無き流通」が始まった。

無料で音楽が聴けるラジオの登場は、レコード産業に壊滅的な打撃を与え、音楽産業の売り上げは二十五分の一になった。
本書は、このショックを起点として、音楽産業がいかにビジネスモデルを革新し、時代の変化を乗り越えてきたかを教えてくれる。

例えば、次のような興味深い分析がある。

(50年代の)ロックンロールの時代は、シングル全盛の時代でもあった。シングル売り上げは総売上げの半分にも達していた。このシングル売上のほとんどをロックンロールに強いインディーズが持っていった。
この時代は、二〇一〇年前後とそっくりだ。音楽の宣伝は無料メディアに頼り、安価なシングルが売上の中心。ラジオを動画共有に、シングル・レコードをいTunesni変えれば同じ構造だった。安価なシングルでは音楽制作費の採算が取れないので、ライヴで黒字化したのも同じだった。だからライヴで踊れるダンサブルな曲、シンプルで短い曲をインディーズは大量に生産していったが、この傾向も音楽フェスが盛んな二〇一〇年以降と同じだ。

中盤の現代史(21世紀)では、アップルの「iPod+iTunes」、日本の「iモード、着メロ、着うた」、YouTubeSpotifyなど、読者になじみがあるプロダクトやサービスが、ビジネスモデルの観点から見てどのように革新的であったのかが、非常に分かりやすく解説されている。
我々が当たり前に受け入れいているSpotifyの「フリーミアムモデル」(無料プランで生活に根付かせ、高度な体験と利便性で有料プランに誘導するモデル)や、ソシャゲなどの「基本無料+マイクロペイメントモデル」なども、エンターテイメント産業の荒波を克服して生まれたのだということが良く分かる。

技術革新(特に電子化)によってビジネスは著しく複雑化・多様化してきたが、音楽産業はビジネスの側面でも「炭鉱のカナリア」だったと言える。
その歴史と現在地を学ぶことによって、現代のあらゆる分野におけるビジネスモデルへの理解力、そして未来への想像力が高まっていくように感じた。

4.的確な総括とキャッチーな表現によって情報が頭に入ってくる

本書は、基本的には時代と人物を追った「物語」であるものの、随所で著者による「総括」がある。
この総括が効果抜群で、物語で親しんだ内容が頭にインプットされやすくなっている。

例えば、Spotifyの普及が音楽産業に与えた影響について次のように整理している。

サブスクの普及による音楽生活の変化
音楽配信のメディア化
人工知能が番組やプレイリストを創る
③新曲と名曲が競う時代
④音楽の寡占化と民主主義化が同時進行
⑤アルバム崩壊と神アルバムの時代
(※書籍では各項目の内容が詳細に解説されている。)

他にも、ソニーウォークマンの革新による影響を「ユビキタス化」「パーソナル化」「音圧志向の音作り」の3点にまとめた箇所、ナップスターの革新を「圧倒的な利便性」「圧倒的なスピード・レスポンス」「無限のディスカバリー」の3点にまとめた箇所など、素晴らしい総括が散りばめられている。
これらによって、音楽産業の構造とその変化(継承されたもの/破壊されたもの/更新されたもの)が頭に入りやすくなっている。

また、言葉の使い方も非常に巧みで、言いえて妙だと思う表現がそこかしこに出てくる。
その象徴が目次であり、タイトルによってこれから読む内容への期待感が掻き立てられ、読み終わった後「ああ、そうだったな」と納得した。

第1部 神話
・神話の章―かつて音楽産業は壊滅した
・黄金の章―四十年かかった音楽産業、黄金時代の再来
・日本の章―日本が世界の音楽産業にもたらしたもの
・月面の章-メディアが音楽を救うとき-MTVの物語
・地球の章-MTVのグローバル経営から学ぶ、クールジャパンの進め方
・栄光の章-続・日本が世界の音楽産業にもたらしたもの
第2部 破壊
・破壊の章―音楽が未来を連れてくる 疾風怒涛、ナップスターの物語
・再生の章―スティーブ・ジョブズ世界の音楽産業にもたらしたもの
・明星の章―音楽と携帯電話 東の空に輝いた希望の光
第3部 使命
・先駆の章―救世主、誕生前夜 ジョブズと若き起業家たち
カデンツァ―音楽産業の復活とポスト・サブスクの誕生 そして未来へ

5.日本の先人たちの偉業や影響力を知ることで魂が鼓舞される

本書の強いメッセージ性の根幹は、「おわりに」に書かれた次の一文にある。

答えらしきものを提示するよりも、もっと大事なことがあった。日本人の魂に潜む創造の精神にこそ、筆者は火をつけなければならなかったのだ。

本書を読む前は、世界の音楽産業史は一環として欧米がリードしており、日本からはせいぜいSonyくらいしか出て来ないだろうと思っていた。
案の定、序盤からSonyの「トランジスタラジオ」の話題が出て、後に「ウォークマン」、「CD」、「プレステ」などに話が及んだが、どれも想像よりずっとボリュームが大きく割かれており、かつ刺激的な内容だった。
イノベーションのジレンマを乗り越え、何回も革新的な製品・サービスを世に送り出し、世界の音楽業界に決定的な影響を与え続けてきたSonyは、本当に凄まじい企業だと思う。
余談だが、つい先日、このコロナ禍の中でSonyが最終利益1兆円を達成したというニュースが流れた。
それについて現副社長が「10年単位での積み重ねによって実現したものである」とコメントしていたが、本書を読んだ自分は非常に得心するところがあった。

さらに、Sony以上に驚いたのが、2000年代の「iモード、着うた、着メロ」の話題である。
自分は当時、「iPod+iTunes」を愛用しており、iモードこそ使っていたが携帯で音楽を聴いていなかったので、この話題が出てきたことに面食らった。
ところが、実は、「iモード」は携帯電話によるデジタルコンテンツ課金ビジネスの先駆けであり、かつ、そのキラーコンテンツであった「着うた、着メロ」は音楽産業を著しく活性化させたということを知った。
同じ頃、アップルの「iPod+iTunes」は欧米市場を席捲していたが、日本では携帯電話のシェアを奪えなかったそうだ(そう言われてみれば、自分の回りに「iPod+iTunes」のユーザーは少なく、しかも音楽マニアばかりだった)。
アップルはこの事態に危機感を覚え、日本の携帯電話ビジネスを徹底的に研究し、それが後のいPhoneの開発に結実したという。凄い話だ。

現代の日本は「アップル信者」が多い。
実際、アップル製品のデザインやインターフェースは優れており、多くの人に支持される理由は良く理解できる。
しかし、それが現代の価値判断の基準となっているが故に、過去に日本の人物や企業が成し遂げたイノベーションや、現在の日本のビジネスモデルの優れた点が見過ごされている可能性があると思う。
自分はアップル信者ではないつもりだったが、前出の「iモード、着うた、着メロ」の件を通じて、既成概念に囚われてたことを痛感した。
そして、日本人の可能性について、より冷静かつポジティブに考えられるようになった気がする。

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こうして整理してみると、改めてこの本は「ただの音楽の本ではない」ということを痛感した。
取り上げられている話題は、音楽に限定されないテクノロジー、ビジネスモデル、マーケティングなどの全般に及んでいる。
また、体系化・構造化された知見は、様々な分野に適用できるそうな強度と普遍性を備えている。
極端は例だが、本書から得たものを、自分の関心分野である「日本酒業界」に応用することも可能だと思う。

日本酒業界は、コロナ禍によって飲食店の営業が大きく制限されたことで、消費減少に喘いでいる。
その影響は、原料である酒造好適米の生産にも及んでおり、エコシステム全体が取り返しのつかないダメージを負いつつある。
一方、この苦境を「家飲み」需要の開拓で打開するため、遅ればせながらECを強化しようという動きが見られる。
これらの事象を踏まえ、本書で知った音楽アプリ「パンドラ」をヒントとして思考実験をしてみた(以下ツイートのスレッドを参照)。

このツイートの内容が妥当かどうかは、この際どうでも良い。
少なくもこの思考をしている時、自分の頭と心は充実していた。
著者の「いま、この状況を何とかしなければ」という問題意識が、自分に伝染したのだと思う。

本書がどのような人、どの程度の数の人に刺さるかは、全く想像がつかない。
最初に述べたように、紙ベースだと600ページ以上の大著である。
また、いくら音楽だけの本ではないと言っても、音楽に興味が無い人は感情移入できないかもしれない。
それでも、自分は胸を張り、声を大にして人に薦めたい。

騙されたと思って読んでみてほしい。
そして、読んだら熱く語り合おう。

<了>