「日常に溶け込んだ嗜好品」について
この前、Twitterにこのような投稿をした。
サッポロ黒ラベルと黒松剣菱は、常備していてしょっちゅう飲んでいるくせに、日常過ぎてSNSで言及しないという共通点がある。
— わっしー(TAITO KAWASHIMA) (@wassy1974) 2020年4月18日
特に深い考えもなく書いた文章だが、後から考えたことがあったので、この場につらつらと書いてみようと思う。
全く役に立つ内容ではないし、結論めいたものは無いので、気楽に読んでくださいませ。
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自分は現在、SNSはTwitterしか動かしていない。
(Facebookはロム専、Instagramはアカウントを持っているだけ。)
なぜTwitterが良いかというと、自分の「日常」を「ある程度」さらけ出せるからだ。
例えば、食卓の写真を投稿する場合を想像してみる。
FacebookやInstagramだと、センス良く盛り付けられた料理、洒落たテーブルウェア、背景のインテリアなど、画面内の全てに気を配らなければいけない空気がある。
一方、Twitterのタイムラインにはもっと多種多様な写真が並んでいて、その中には「日常」らしい写真も数多く含まれる。
とは言え、Twitterも「完全な日常」とは言えない。
「日常」が「高頻度で同じことを繰り返す」ことだとすれば、あまりにも頻度が高い(=日常性が高い)ものは題材とならない。
例えば、自分は毎晩「ご飯」を食べるが、それをTwitterに投稿しようとは思わないし、他者が毎晩「ご飯」の投稿をするのを見たいとも思わない。
冒頭の話題に戻ると、自宅の冷蔵庫には「黒ラベル」、リビングには「黒松剣菱」が常備されている。
そして、「黒ラベル」は春夏秋を中心にだいたい年間120日(週2回ペース)、「黒松剣菱」は秋冬春を中心に年間60日(週1回ペース)くらい飲んでいる。
これらを常備し、コンスタントに飲んでいる理由は二つあって、「普段使いに適した味わい」と「いつでも、どこでも買えること」だ。
「サッポロ黒ラベル」の丸みがあって濃すぎない味わい、「黒松剣菱」の甘・酸・苦・旨を兼ね備えつつ後口の捌け(キレ)が良い味わいは、ふだんの家庭料理と合わせやすい。
そんなお酒が、近所のスーパー、コンビニ、ドラッグストアで普通に買えてしまう。
これらを選んでおけば、最近流行りの「ペアリング」とか難しいことを考え必要はなく、幼い二人の息子のお行儀の悪さに翻弄されながらでも晩酌を楽しむことができる。
何と言うか、「これ“が”良い」というよりは、「これ“で”良い」から選んでいる。
「これ“で”良い」というのは、まさに「日常」なのだろうと思う。
とは言え、昔から「黒ラベル」と「黒松剣菱」が「これ“で”良い」だった訳ではない。
もう10年以上も酒を趣味とし、それなりに様々な種類の酒を飲んだ上で、この二本が「自分に合う」と考えるに至ったのだ。
酒以外のジャンルだと、「毎朝のコーヒー」もこれに近い。
20代後半~30代前半にかけてコーヒーにハマっていた時期があり、世界各地の色々なコーヒーを飲み、道具にも凝っていた。
結婚を機に深追いはやめてしまったが、毎朝豆を挽き、ハンドドリップでコーヒーを淹れる習慣は継続している。
そして、「自宅での朝コーヒー」をTwitterに投稿することはない。
「嗜好品」と「日用品」は対義語とされ、世の中全てがどちらかに属するかのように言われる。
しかし、自分にとっての「黒ラベル」、「黒松剣菱」、そして「自宅の朝のコーヒー」は、どちらにも属さない。
何と言うか、「日常に溶け込んだ嗜好品」とでも表現すれば良い存在となっている。
ここまで来ると「誰にどういわれようと好き」なので、わざわざSNSで承認欲求を満たす必要も無い。
日常の中で、静かに、自分の暮らしを豊かにしてくれる。
そして、きっと誰もがこういう存在を持っているのだろうと思うと、楽しい気分になる。
おわり。