玉島で出会った「一期一会」の風景【あのcongiroを追う!春の18キッパーズ&チャリダーズ旅行!!2日目①】
※写真大量注意
始発に乗るため4:50に起床。
昨日の暴飲暴食のせいで若干体が重いような気もするが、そこは「身を削ってまで楽しんでこそ旅行や!」と気持ちを奮い立たせて出発する。
この日の最初の目的地は、岡山県倉敷市の「玉島」だ。
■「玉島」とはどんな場所か。
倉敷市内には、やたらと「島」がつく地名が多く、今回訪問する「玉島」の他に「水島」「児島」「連島」「柏島」などがある。
これらはかつて本当に「島」であった場所で、江戸時代の干拓事業によって本州と陸続きになった。
例えば、以下のサイトに掲載されている地図が分かりやすい。
倉敷といえば誰もが知っている超有名観光地だが、多くの人が訪れるのは中心部の「倉敷美観地区」であり、玉島はほぼ無名と言って良いだろう。
唯一観光客にアピールしそうな点といえば、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」のロケ地となったことくらいだろうか。
そんな玉島だが、マニアックなブログやtwitterアカウントで度々紹介されているのを見て、かねがね訪問したいと思っていた。
そして実際に訪れてみると、干拓地の水辺に依る立地、古い街並みの規模の大きさ、江戸から昭和レトロに至る多種多様な建物などに感動した。
ここには、「行って見なければ分からない風景」がある。
と同時に、「ああ、これは滅びゆく街だな」とも感じた。空き家が目立つうえに、月曜の早朝という点を差し引いても、人通りが少なく街に生気が感じられなかった。
ここには、「いつ失われるか分からない風景」もある。
結論から言えば、いま来て良かった。いや、遅すぎるくらいだった。
■新倉敷駅~新橋
新倉敷駅で電車を降り、自転車で玉島に向かって南下する。
しばらくすると良い感じの水路が現れ、気分良く併走する。
後で調べてみると、これは江戸時代に建設された「高瀬通し」という水路らしい。
そして辿りついた「新橋」付近の風景がむっちゃ素晴らしい。
早朝の光の具合と、朝凪の鏡写しの風景がたまらず、友人ともどもカメラのシャッターを押しまくる。
■羽黒神社・玉島中央町
そこから西に移動すると、高台に「羽黒神社」という神社を見つけたので登ってみる。
やけに存在感があり、建物も立派なので気になってググって見ると、玉島の干拓成就を願って建立された由緒ある神社らしい。
この周囲は「中央町」という住所であったり、「銀座商店街」もあったりで、まさに玉島の中心地と言えるだろう。
まだ早朝なので寂しい(昼になっても寂しい?)が、昭和的な渋い風景に興奮しつつ進んでゆく。
■仲買町
続いて、水路を挟んで西側の「仲買町」を歩く。
まずは、通りの背後の住吉山公園に登る。ここからの眺望は素晴らしく、玉島の地理が一目瞭然だ。
街並みは古い町屋が多く、酒蔵、醤油屋、銀行(廃業)、銭湯(廃業)などの立派な建物が並ぶ。
最後に菊地酒蔵(主力銘柄は「燦然」)でカップ酒を購入。
■通町商店街
最後に、昭和レトロの風景で有名な「通町商店街」を進む。
月曜の早朝という最も商店街が賑わっていない時間帯に訪れたので、その真価は分からない。
ふらりと立ち寄った洋菓子屋で買物しつつ話を聞いてみると、前日はイベントが開催されて賑わっていたそうだ。
なお、アーケード入口の左側は現在は空地だが、以前は渋い外観のパチンコ店があったそうだ。また、アーケードの距離がもっと長かったらしい。
最後に商店街の外れの畳屋で「い草アイス」を食べて、新倉敷駅に戻った。
(参考)パチンコ店があった時代の商店街入口
出典:倉敷フィルムコミッション
http://kankou-kurashiki.jp/project/film_commission/database75.html
■雑感
玉島の滞在は2時間くらいを予定していたが、あっという間に4時間くらい経ってしまった。
それでも、まだ行けなかったエリアが多いし、月曜日の早朝だったので飲食や買物もほぼできなかった。
もうこれは、宿泊込みで再訪するしかない。
なお、帰宅した後に玉島の盛衰を調べてみると、だいたい以下のような感じだった。
- 江戸時代前期(17世紀後半):玉島の干拓が進む。
- 江戸時代中期(18世紀):商港として大いに繁栄し、現在の街並みの基礎が形成される。
- 江戸時代後期(19世紀):周囲の港との競争激化、土砂の流入による浅瀬化などによって衰退が始まる。
- 明治~昭和戦前(20世紀前半):国道2号の玉島通過、官公庁の集積などで何とか地域の活力を維持。
- 昭和戦後~平成(20世紀後半~):これといった産業もないため、ゆるやかに衰退。
玉島の歴史は、港町としての大きなピークが一回来て、その後はゆっくり衰退しつつ、生活の町として何とか生き永らえてきたイメージか。
倉敷中心部が、「江戸時代の港町→近代の繊維工業都市→現代の観光都市」というふうに、時々に応じて手を打ってきたのとは対照的な感がある。
倉敷中心部の努力には敬意を表するが、どちらか自分の好みかと言われれば、間違いなく玉島の方だ。
そんな玉島を訪問できたことに満足し、その一方で、まだまだ見足りないことに後ろ髪を引かれつつ、我々ご一行様は東へと向かうのであった。
<続>