人の見のこしたものを見るようにせよ。

すべての道は地理に通ず。

勢いだけでTwitterの「正調粕取焼酎専門アカウント」を作った。

twitter.com

実は昨年末から、正調粕取焼酎について何らかの方法で発信しようと考えていたが、バタバタとして放ったらかしになっていた。
その一環として先月に上記のアカウントを作っていたのだが、今晩ようやくそこに魂を吹き込んだ。つまり、最初のツイートを投稿した。
そのツイートは、熱い思いが滾るあまり14連投のスレッドとなってしまい、極めて読みにくいと思われるので全貌をこちらに載せておく。

連続ツイート:独断と偏見による「正調粕取焼酎の3大魅力」。
1.農村の暮らしと歩んできた「悠久のロマン」
2.地元のみで消費されてきた「ザ・地酒」
3.今こそ世界に問いたい「比類なき個性」
行きます。

1.農村の暮らしと歩んできた「悠久のロマン」
正調粕取焼酎とは、「酒粕」を主原料し、蒸留時の通気性確保を目的として「籾殻」を混ぜ込んだ焼酎です。起源は正確に分かりませんが、江戸時代の17世紀後半以降の文献には、その製造方法が記されています。
酒粕は栄養価が高く良い肥料となるのですが、アルコール濃度が高すぎると植物に害を与えます。このため、農民たちは酒粕を蒸留して焼酎を造り、残った粕を肥料として利用しました。つまり、正調粕取焼酎は「副産物」という見方もできます。
また、正調粕焼酎は古くは「早苗饗(さなぶり、さなぼり)焼酎と呼ばれていました。「早苗饗」とは田植えの後のお祭りのことであり、そこで正調粕取焼酎が「祝い酒」として振舞われていたのです。きっと労働の後の一杯は最高だったでしょうね。
このように、正調粕取焼酎は、当初から農村・農民の手で育まれ、継承されてきました。そこには派手な歴史のエピソード、技術革新のストーリー、市場を席巻した武勇伝などはありません。だからこそ、逆に、かつての日本の農村文化がそのまま封じ込められている、そんなロマンがあります。

2.地元のみで消費されてきた「ザ・地酒」
近代以降、日本酒や芋焼酎、麦焼酎などは、輸送手段の発達や技術革新などによって広範囲へと流通するようになり、全国ブランドの大企業も生まれました。しかし、農村とともに生まれ育った正調粕取焼酎は「地元の、地元による、地元のための酒」であり続けました。
それ故、農村の近代化とその後の衰退によって正調粕取焼酎の存立基盤が揺らぎ、また、飲み手の嗜好の変化で癖の強い味わいが敬遠されたことによって、正調粕取焼酎の製造元は大きく減少し、今や絶滅の危機に瀕していると言っても過言ではありません。
「酒は世につれ、世は酒につれ」と言われる通り、正調粕取焼酎の退潮は時代の流れなのかも知れません。でも、それは同時に貴重な「地域文化」の一つが失われてしまうことを意味します。世がどうであろうと、我々には守るべきものはあるのではないでしょうか。自分には、あります。

3.今こそ世界に問いたい「比類なき個性」
正調粕取焼酎の味わいは、米の甘味、籾殻の香ばしさ、蒸篭の木の香りなどが主体です。さらに、熟成するとチョコレート、ナッツのような風味も加わります。その味わいは決して万人受けするものではなく、人によっては「畳」などと表現されることもあります。
個人的には、正調粕取焼酎を特徴づける「籾殻香」は、スコッチの「ピート香」に匹敵すると思っています。「籾殻」も「ピート」も、身近な場所の原料を使う事によって付加された香りであり、決して美味探求の結果ではありません。つまり、「土地に根ざした文化の香り」と言えると思います。
ちなみに、西洋には、ぶどう粕を原料とした「グラッパ」や「マール」という蒸留酒があります。これらと正調粕取焼酎は、原料が全く異なるにも関わらず、なぜか共通の風味があります。これも、「自然の恵みを余すところなく活かす」という「人類共通の文化の香り」なのかもしれません。
このように、正調粕取焼酎の「ローカルに根ざした風味」は、世界の蒸留酒と比べても決して遜色ないものであり(比べる必要など無いのですが、敢えて…)、いまこそ世界に問われるべきのではと思っています。(当方一介のアマチュアにつき、その結果玉砕しても責任は取れませんが…)

以上、このアカウントを始めるにあたって、自分の熱い思いを書き連ねてみました。いつまで続くか分かりませんが、今後とも宜しくお願い致します。

そんなに長くはないが、書ききった感がとてもある。
なので、以降はゆるゆると運用していこうと思う。

<了>