人の見のこしたものを見るようにせよ。

すべての道は地理に通ず。

これはただの音楽本ではなく、日本の未来を照らす勇気と希望の書だ。~榎本幹朗『音楽が未来を連れてくる』の読書録~

本を読み終わって5日。
いまだに感動冷めやらず、暇さえあれば読み返したり、本の内容を基に考え事をしたりしている。
昨年来のコロナ禍で読書量が増え、この1年間で数多くの素晴らしい本と出会ってきたが、その中でも本書は明らかに頭一つ、いや、三つくらい抜けているのではないだろうか。

榎本幹朗『音楽が未来を連れてくる』の内容は、冒頭の一節に凝縮されている。

本書は、音楽産業に次々と襲いかかる未曽有の危機を乗り越え、新たな黄金時代を創っていった革新者たちの魂の軌跡を描いた勇気の書である。過去のみならず、コロナ禍で壊滅的な打撃を受けたこの世界に希望の未来もささやかながら提示してている。

この本は「音楽」ではなく「音楽産業」の本である。
ミュージシャンや楽曲の話題も出るには出るが、超有名どころばかりなので深い知識は必要ない。
知らなければ、YouTubeで音源を聴きながら読み進めれば全く問題はない。

かく言う自分は、そこそこの音楽ファンであると自認している。
高校生の頃から主体的にポピュラー音楽を聴き始め、楽器演奏(ギター)はあまりの才能の無さに早々と諦めたものの、以降30年間、多種多様なジャンルの音楽を聴き続けてきた。
30代に入り、結婚して子供を儲けてからはライトな聴き方をしていたものの、コロナ禍での在宅勤務の増加によって音楽熱を取り戻している。

Twitterのタイムラインに流れてきた本書の案内に興味を惹かれ、電子書籍を購入したのは2月中旬のことだった。
当初はそのボリューム(紙ベースだと600ページ以上!)に圧倒され、後で読もうと放置すること二ヶ月。
4月中旬に思い出し、試しに…と読み始めると、すぐさま本気モードに引きずり込まれた。
仕事と家事の合間、子供が寝た後など、暇さえあれば貪るように読み、わずか5日で読破。

自分がここまでのめり込み、感銘を受けた理由は大きく二つある。
一つ目は、素晴らしい歴史と現在の記述を通じて、時代を超えた普遍的な叡智を与えてくれたこと。
二つ目は、強いメッセージによってコロナ禍による閉塞感を吹き飛ばし、未来へ進む希望と勇気を与えてくれたこと。
前者だけなら、自分の中で読書の歓びを噛み締めつつ、SNSにちょこちょこ感想を書く程度で済ませたと思う。
後者があったからこそ、人に伝えたいと思い、こうして休眠していたブログを叩き起こして書くことにしたのだ。

以下、自分なりに感じた本書の素晴らしさを、5項目にわたって書いていく。

1.「人」を中心に活き活きとした物語を楽しむことができる

「はじめに」に続く本体部分は、誰もが知るエジソンのエピソードから始まる。

一九二八年のことだった。社長室で報告書を眺める”発明王トーマス・エジソンの顔色は優れなかった。「このビジネスは下り坂に入る……」エジソンはひとりごちた。彼の眺めていた書類は、エジソン・レコードの売上報告だった。

歴史の記述の仕方には色々あるが、本書は「人」を中心とする物語形式となっている。
まるで小説を読んでいるように心を躍らせながら、音楽産業の変革の胎動、そして歴史が動く瞬間を楽しむことができる。
ピックアップされている人物は、エジソンソニー創業者の井深大盛田昭夫、アップルのスティーブ・ジョブズといった超有名人も多い。
また、彼らほど有名ではない他の人物についても、エピソードともに生き様がありありとが描かれ、読んでいるうちに親近感が湧いてくる。
自分としては、日本では知名度が低いビル・ローディー(MTVヨーロッパ)とショーン・パーカー(ナップスターFacebookSpotify)の物語がとても刺激的だった。

少しだけ実例を出そう。
Sony盛田昭夫が、誰もその真価を理解していなかったウォークマンのプロトタイプを触り、沈黙の後で「……これは売れる」とつぶやいた場面。
ガンに冒されるなかiPodの開発を決断したスティーブ・ジョブスが、ミーティング中に目に情熱の炎を燃やしながら半ダースあまりのアボカドを鬼のように喰っていた場面。
米国の無料音楽ファイル交換サイト「ナップスター」を敗訴・倒産に追い込んだ弁護士が、息子の友人から「ナップスターの終わりは、音楽の終わりだ……」と聞かされた場面。

このようなエピソードを通じて、革新者たちの圧倒的なビジョン、天才的な閃き、驚異の行動力、抜け目のない計算などが伝わり、自然と物語に引き込まれていった。

2.音楽を窓口としてイノベーション100年の歴史を俯瞰できる

本書の中程に、次のような印象的な一節がある。

音楽は、炭鉱のカナリアのようなところがある。新しい技術革新の荒波に、ほかの産業に先立ってさらされる歴史を繰り返してきた。放送の登場も、ネットの登場も、まず音楽産業に破壊をもたらした。「頭の古い連中だ」とたびたび、ほかの業界から嘲笑された。だが、最初に揉まれるからこそ、いつも新しい常識を音楽が連れてきた。

前半~中盤は「歴史」の記述であり、1920年代の発明王エジソンの時代から、現代までの音楽産業の歴史が丹念に書かれている。
その過程で自然と技術革新の歴史に話が及び、上記の「炭鉱のカナリア」という例えに頷かされれる。

各時代に生まれた通信手段やメディアは、音楽コンテンツが起爆剤となって普及した。
古くはラジオや映画がそうであり、21世紀初頭には「ナップスター」が全米のインターネットとPCの普及率を押し上げた。
現代のYouTubeも音楽動画ツで人気に火がつき、それはいまなお人気コンテンツの一つである。

また、音楽を聴くためのハードウェアの開発は、電子機器の進化をリードしてきた。
終戦直後に開発された「トランジスタ」を爆発的に広め、電子機器の時代へと扉を開いたのは、1958年に発売されたSonyのポケットラジオだった。
いま注目を集めている「ブロックチェーン」の技術的源流は、2000年前後に全米で一世を風靡した音楽ファイル交換サービス「ナップスター」だった。

自分はどちらかと言えば科学技術オンチだが、このような親しみやすい音楽の話題を窓口として技術革新100年の歴史を俯瞰できたことは、大きな喜びであり目から鱗であった。

3.コンテンツ産業のビジネスモデルを知ることができる

形あるハードの売買と比べて、コンテンツ(ソフト)産業のビジネスモデルは複雑で分かりにくい。
最も古いコンテンツ産業は書籍だと考えられるが、21世紀に電子書籍が普及するまでは、形ある商品として流通していた。
それに対して音楽は、1920年代後半ラジオの登場によって、早くも「形無き流通」が始まった。

無料で音楽が聴けるラジオの登場は、レコード産業に壊滅的な打撃を与え、音楽産業の売り上げは二十五分の一になった。
本書は、このショックを起点として、音楽産業がいかにビジネスモデルを革新し、時代の変化を乗り越えてきたかを教えてくれる。

例えば、次のような興味深い分析がある。

(50年代の)ロックンロールの時代は、シングル全盛の時代でもあった。シングル売り上げは総売上げの半分にも達していた。このシングル売上のほとんどをロックンロールに強いインディーズが持っていった。
この時代は、二〇一〇年前後とそっくりだ。音楽の宣伝は無料メディアに頼り、安価なシングルが売上の中心。ラジオを動画共有に、シングル・レコードをいTunesni変えれば同じ構造だった。安価なシングルでは音楽制作費の採算が取れないので、ライヴで黒字化したのも同じだった。だからライヴで踊れるダンサブルな曲、シンプルで短い曲をインディーズは大量に生産していったが、この傾向も音楽フェスが盛んな二〇一〇年以降と同じだ。

中盤の現代史(21世紀)では、アップルの「iPod+iTunes」、日本の「iモード、着メロ、着うた」、YouTubeSpotifyなど、読者になじみがあるプロダクトやサービスが、ビジネスモデルの観点から見てどのように革新的であったのかが、非常に分かりやすく解説されている。
我々が当たり前に受け入れいているSpotifyの「フリーミアムモデル」(無料プランで生活に根付かせ、高度な体験と利便性で有料プランに誘導するモデル)や、ソシャゲなどの「基本無料+マイクロペイメントモデル」なども、エンターテイメント産業の荒波を克服して生まれたのだということが良く分かる。

技術革新(特に電子化)によってビジネスは著しく複雑化・多様化してきたが、音楽産業はビジネスの側面でも「炭鉱のカナリア」だったと言える。
その歴史と現在地を学ぶことによって、現代のあらゆる分野におけるビジネスモデルへの理解力、そして未来への想像力が高まっていくように感じた。

4.的確な総括とキャッチーな表現によって情報が頭に入ってくる

本書は、基本的には時代と人物を追った「物語」であるものの、随所で著者による「総括」がある。
この総括が効果抜群で、物語で親しんだ内容が頭にインプットされやすくなっている。

例えば、Spotifyの普及が音楽産業に与えた影響について次のように整理している。

サブスクの普及による音楽生活の変化
音楽配信のメディア化
人工知能が番組やプレイリストを創る
③新曲と名曲が競う時代
④音楽の寡占化と民主主義化が同時進行
⑤アルバム崩壊と神アルバムの時代
(※書籍では各項目の内容が詳細に解説されている。)

他にも、ソニーウォークマンの革新による影響を「ユビキタス化」「パーソナル化」「音圧志向の音作り」の3点にまとめた箇所、ナップスターの革新を「圧倒的な利便性」「圧倒的なスピード・レスポンス」「無限のディスカバリー」の3点にまとめた箇所など、素晴らしい総括が散りばめられている。
これらによって、音楽産業の構造とその変化(継承されたもの/破壊されたもの/更新されたもの)が頭に入りやすくなっている。

また、言葉の使い方も非常に巧みで、言いえて妙だと思う表現がそこかしこに出てくる。
その象徴が目次であり、タイトルによってこれから読む内容への期待感が掻き立てられ、読み終わった後「ああ、そうだったな」と納得した。

第1部 神話
・神話の章―かつて音楽産業は壊滅した
・黄金の章―四十年かかった音楽産業、黄金時代の再来
・日本の章―日本が世界の音楽産業にもたらしたもの
・月面の章-メディアが音楽を救うとき-MTVの物語
・地球の章-MTVのグローバル経営から学ぶ、クールジャパンの進め方
・栄光の章-続・日本が世界の音楽産業にもたらしたもの
第2部 破壊
・破壊の章―音楽が未来を連れてくる 疾風怒涛、ナップスターの物語
・再生の章―スティーブ・ジョブズ世界の音楽産業にもたらしたもの
・明星の章―音楽と携帯電話 東の空に輝いた希望の光
第3部 使命
・先駆の章―救世主、誕生前夜 ジョブズと若き起業家たち
カデンツァ―音楽産業の復活とポスト・サブスクの誕生 そして未来へ

5.日本の先人たちの偉業や影響力を知ることで魂が鼓舞される

本書の強いメッセージ性の根幹は、「おわりに」に書かれた次の一文にある。

答えらしきものを提示するよりも、もっと大事なことがあった。日本人の魂に潜む創造の精神にこそ、筆者は火をつけなければならなかったのだ。

本書を読む前は、世界の音楽産業史は一環として欧米がリードしており、日本からはせいぜいSonyくらいしか出て来ないだろうと思っていた。
案の定、序盤からSonyの「トランジスタラジオ」の話題が出て、後に「ウォークマン」、「CD」、「プレステ」などに話が及んだが、どれも想像よりずっとボリュームが大きく割かれており、かつ刺激的な内容だった。
イノベーションのジレンマを乗り越え、何回も革新的な製品・サービスを世に送り出し、世界の音楽業界に決定的な影響を与え続けてきたSonyは、本当に凄まじい企業だと思う。
余談だが、つい先日、このコロナ禍の中でSonyが最終利益1兆円を達成したというニュースが流れた。
それについて現副社長が「10年単位での積み重ねによって実現したものである」とコメントしていたが、本書を読んだ自分は非常に得心するところがあった。

さらに、Sony以上に驚いたのが、2000年代の「iモード、着うた、着メロ」の話題である。
自分は当時、「iPod+iTunes」を愛用しており、iモードこそ使っていたが携帯で音楽を聴いていなかったので、この話題が出てきたことに面食らった。
ところが、実は、「iモード」は携帯電話によるデジタルコンテンツ課金ビジネスの先駆けであり、かつ、そのキラーコンテンツであった「着うた、着メロ」は音楽産業を著しく活性化させたということを知った。
同じ頃、アップルの「iPod+iTunes」は欧米市場を席捲していたが、日本では携帯電話のシェアを奪えなかったそうだ(そう言われてみれば、自分の回りに「iPod+iTunes」のユーザーは少なく、しかも音楽マニアばかりだった)。
アップルはこの事態に危機感を覚え、日本の携帯電話ビジネスを徹底的に研究し、それが後のいPhoneの開発に結実したという。凄い話だ。

現代の日本は「アップル信者」が多い。
実際、アップル製品のデザインやインターフェースは優れており、多くの人に支持される理由は良く理解できる。
しかし、それが現代の価値判断の基準となっているが故に、過去に日本の人物や企業が成し遂げたイノベーションや、現在の日本のビジネスモデルの優れた点が見過ごされている可能性があると思う。
自分はアップル信者ではないつもりだったが、前出の「iモード、着うた、着メロ」の件を通じて、既成概念に囚われてたことを痛感した。
そして、日本人の可能性について、より冷静かつポジティブに考えられるようになった気がする。

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こうして整理してみると、改めてこの本は「ただの音楽の本ではない」ということを痛感した。
取り上げられている話題は、音楽に限定されないテクノロジー、ビジネスモデル、マーケティングなどの全般に及んでいる。
また、体系化・構造化された知見は、様々な分野に適用できるそうな強度と普遍性を備えている。
極端は例だが、本書から得たものを、自分の関心分野である「日本酒業界」に応用することも可能だと思う。

日本酒業界は、コロナ禍によって飲食店の営業が大きく制限されたことで、消費減少に喘いでいる。
その影響は、原料である酒造好適米の生産にも及んでおり、エコシステム全体が取り返しのつかないダメージを負いつつある。
一方、この苦境を「家飲み」需要の開拓で打開するため、遅ればせながらECを強化しようという動きが見られる。
これらの事象を踏まえ、本書で知った音楽アプリ「パンドラ」をヒントとして思考実験をしてみた(以下ツイートのスレッドを参照)。

このツイートの内容が妥当かどうかは、この際どうでも良い。
少なくもこの思考をしている時、自分の頭と心は充実していた。
著者の「いま、この状況を何とかしなければ」という問題意識が、自分に伝染したのだと思う。

本書がどのような人、どの程度の数の人に刺さるかは、全く想像がつかない。
最初に述べたように、紙ベースだと600ページ以上の大著である。
また、いくら音楽だけの本ではないと言っても、音楽に興味が無い人は感情移入できないかもしれない。
それでも、自分は胸を張り、声を大にして人に薦めたい。

騙されたと思って読んでみてほしい。
そして、読んだら熱く語り合おう。

<了>

剣菱と桶

(注:この記事はSNSなどでシェアしないでください。隠す内容ではありませんが、関係者を刺激することは私の本意ではありませんので。)

自分も記事を寄稿している日本酒メディア「sake street」で、大好きな剣菱酒造の記事が掲載された。
書き手は木村咲貴さん、物書き・編集の先輩としてリスペクトしており、かつ自分をはるかに超える「剣菱愛」を持つ方ということで、待望の記事であった。
sakestreet.com

いやいや、さすが、読ませるなー、と思いながら進み、最後の方の「桶買いをやめ、100%自社醸造へ」というタイトルを見て「やっぱりその話題が来たか…」と。
最初の4つの段落はすんなりと読んだが、その次で「おや?」と思った。

自社でまかなえない部分を補うため、一般的な購入額の2倍以上を支払って桶買いを行っていたという剣菱酒造。購入量はあらかじめ決まっているものの、購入するお酒は毎回唎酒をして選ぶことで、質の悪いお酒は決して買い取らない体制を整えていました。

この記事の狙いの一つは、「剣菱と他の大手の違い」をクローズアップし、そのことを通じて魅力を浮かび上がらせる事だと考えられる。
上記の文章にも、言外に「剣菱が他の大手よりも”誠実な桶買い”をしていた」という含みが感じられる。
(※あくまで自分流の解釈です。)

ここで、自分の頭に「本当にそうなのだろうか?」という疑問が浮かんだ。
なぜならば、他の大手による”誠実な桶買い”の事例を知っていたからである。

当社でも、Gという御蔵に未納税移出しておりました。私自身はほとんど記憶にありませんが、タンクローリーが来て春と秋にお酒を運んでいたようです。Gという御蔵は、未納税蔵に対する指導が厳しく、蔵元や杜氏に講習を施し、貯蔵法を指導していました。貯蔵法に関していえば、当時は常温保存が普通であった時代に夏場の冷蔵保存を指導し、引き取りに当たっても、アルコール度や酸度の厳しい基準があったようです。
(中略)
現社長に言わせると志太泉がGというブランドメーカーに未納税移出していた事や引取り単価が相場より高かった事は非常に満足であったとの事です。
(出典:志太泉酒造ウェブサイト:http://shidaizumi.com/column/column9.htm

さらに、桶買いを全く行ったことが無い大手藏として、白鷹酒造の事例が思い浮かんだ(白鷹その姿勢から「灘の良心」と呼ばれている)。

酒質を最大の誇りとする白鷹では、自社の蔵だけで造った“生一本”の酒にしかラベルを張りません。つまり他のメーカーで造られた酒を買い、これを適当にブレンドして自社製品にするという、いわゆる“桶買い”は一切存在しないのです。
(出典:白鷹酒造ウェブサイト:https://www.kuramotokai.com/kikou/54/governor

このような中で、剣菱の桶買いをどのように捉えれば良いのだろうか。
その手掛かりとして、桶買いの全体像について「コンプライアンス」の視点から簡単に整理してみた。

コンプライアンス」は、大きく「法令順守」と「倫理尊重」の2つで構成される。
前者の「法令」という視点から見れば、桶買いは、過去も現在も問題のない行為である。
一方、後者の「倫理」という視点から見れば、ラベルに実際の製造所(酒蔵)を記載していないということで、消費者への情報開示が不十分であるという問題がある。

法令を遵守しているので「クロ」ではなく、断罪の対象とはならない。
一方、倫理を十分に尊重しているとは言えないので「シロ」でもく、賞賛の対象にもならない。
桶買いは、白でも黒でもない「グレー」の存在だと言える。

このような全体像の理解のなかで、桶買いに対する大手各社の振舞いを「誠実(ホワイト)/普通(グレー)」に分けるとすれば、その境界線は「誠実な桶買い/普通の桶買い」の間ではなく、「桶買いをした/しなかった」の間が相応しいと自分は考える。
そして、この考え方を当てはめると、桶買いをしなかった白鷹が「誠実(ホワイト)な企業」であり、剣菱を含むその他の大手は「普通(グレー)の企業」だと言わざると得ない。

これが自分なりの結論である。


色々と面倒なことを書いてきたが、自分はこの記事と剣菱の歴史にケチをつけるつもりは毛頭ない。
ただ、引用部分だけはどうしても納得できないので、読まなかったことにしておきたい。
そうしたとしても、十分な内容が詰まった満足度の高い記事なのだから。


追伸:つい昨日、この記事の続き(中編)が公開された。こちらは何の引っ掛かりも無く読める最高の記事だった。後編も楽しみだ。
sakestreet.com

SAKE SUPREME #1 プレイリストと解説

先日、浅草橋の酒屋 SAKE Street にて、小ぢんまりとした「ジャズと日本酒」のイベントを開催した。

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主催者は自分(言い出しっぺ)、しんご通信さん(ビジュアル&音楽担当)、こーへーさん(酒担当)の3人。
上のカッコいい画像はしんご通信さんが作ってくれたやつ。

結論から言うとイベントはかなり盛り上がった(と思う)。

今回のイベントは新鮮に受け止めてもらえたようで、参加者から「プレイした曲を後で知りたい」というリクエストを頂いた。
また、参加できなかった方からも、Twitterで「興味がある」「どんなペアリングなんだろう」という反応があった。
そこで、Spotifyで当日の曲をプレイリストにして公開した。

open.spotify.com

以下、収録曲の解説、会場の反応などを書いていくので、音源を聴きながら読んで頂けると嬉しいです。

▼オープニング

1 John Coltrane - A Love Supreme, Pt. I – Acknowledgement

ジャズファンなら誰もが知る超名曲にして、イベントタイトルの元ネタ。
「何かが始まりそうな予感」が横溢している。

▼デモンストレーション

いきなり「ジャズと日本酒のペアリング」と言っても「何ぞや?」という人も多いと思ったので、予め4つのペアリングを準備してデモンストレーションをやった。

2 Nujabes - Modal Soul (feat. Uyama Hiroto)

「光栄菊 “SNOW CRYSTAL”」とマッチング。
テーマは「コンテンポラリー」。
選曲はしんご通信さん。
氏曰く「ノスタルジックなメロディーがスノウクリスタルの粉っぽい甘い香りに合うかなと思いました。あと、細かく鳴るシンバルが微発泡感のようにも感じられて良いかなと。」
ペアリングがバッチリだったうえに、会場にNujabesファンが多かったので冒頭からとてもイイ感じに盛り上がった。
そして、Nujabes はオープニング曲のコルトレーン一派から影響を受けているので、ジャズファンがニンマリする流れも最高。

3 Blue Mitchell - I'll Close My Eyes

「鳴海 “純米大吟醸直詰め生 山田錦”」とマッチング。
テーマは「オーセンティック」。
選曲は自分。
鳴海は素直で伸びやかな酒というイメージなので王道のモダンジャズ
酒蔵がある房総半島の風土も含めて「陽性」だと感じたので、テンポよく明るい雰囲気のこの曲を選んだ。
選曲の際に、同時代のトランぺッターたち(ケニー・ドーハムリー・モーガンドナルド・バードなど)と聴き比べて絞り込むのがむちゃくちゃ楽しかった。
会場の反応は「普通に合うよね~」という感じで、堅実な二番バッターの役割は果たしたかと。

4 Butcher Brown - Tidal Wave

「“シン・ツチダ”」とのマッチング
テーマは「ネオ・クラシック」。
これも選曲は自分。
日本酒ファンの間で大注目の土田酒造ということで、選曲に力が入った(そして悩んだ)。
ここの藏は「現代の設備で伝統製法の酒を造る」というスタンス、シン・ツチダはそのフラッグシップ酒だということを踏まえて考えた。
「現代の設備」から若手ミュージシャンによる2020年の新譜、「伝統製法」から生音(アコースティック)中心の音づくりという条件を設定。
「生酛づくり」のなかで微生物が静かにうごめく様子をイメージしつつ曲を漁っていたら、ロンドンの若手ミュージシャンによるこの曲がピンと来た。
アルバムのジャケットに麹菌っぽい物体が描かれていることも密かなポイント。
この頃になると自分が楽しんではしゃいでいたので、会場の反応は良く覚えていない。

5 Pharoah Sanders - You've Got To Have Freedom

「舞美人 “山廃純米 無濾過生原酒 SanQ”」とペアリング。
テーマは「アバンギャルド」。
選曲はしんご通信さん、自分の共同。
この酒の持ち味は、何と言っても強烈な酸味。単純な酸味ではなく、なんかバイブレーションというか、波と言うか、そういう感覚がある。
そのイメージをファラオ・サンダースの咆哮するようなサックスに重ねた。
加えて、酸味を支える甘味は、ファラオの音楽性の根底にある人類愛や世界平和に通じるものがあると解釈。
このペアリングは、ジャズに詳しくない人を中心にウケていたように思う。

▼リクエスト&パーティー

ここからは自由に音楽を聴いたり、会話をしたり、飲んだり、食べたり。
以下、プレイした主な音源(+α)。

6 Katalyst - BBB

これは「シン・ツチダ」の選曲の際に最後まで悩んだやつ。
飲んだことがある人は「4 Butcher Brown - Tidal Wave」と聴き比べてください。

7 Jorge López Ruiz - Rogne Buenos Aires

会場からのリクエスト。
アルゼンチンの格好いいビッグバンド。
イメージは「七寳 粕取りみりん」。
みりんの味の要素の多さ、粕取焼酎由来の癖と音圧の強さが合う感じがして興味深かった!

8 Alfa Mist - Retainer

会場からのリクエスト。
ロンドンの若手ミュージシャンの旗手で、前出の Butcher Brown と同じカテゴリー。
同じ方が持参した「みむろ杉 CRAFT SAKE FROM BROOKLYN」のモダン&ジューシーな味わいと素晴らしいマッチング!
現代の若い造り手の日本酒と、現在活況を呈しているサウスロンドンのジャズシーンは相性が良いのかも?

9 José James - Promise in Love

自分が不在の時にかかっていた曲。
特にどの酒とペアリングという訳ではなかったが、会場がまったりリラックスした雰囲気にピッタリだった。

10 Art Blakey & The Jazz Messengers - A Night In Tunisia

黒松剣菱のお燗で会場のボルテージが最高潮に達していた時にプレイした。
何を選んでも剣菱には敵わないと思ったので、ここはシンプルに自分が好きなものを。
個人的に、ドラマーの Art Blakey は「ジャズ界の剣菱」と言って良い偉大な人物だと思っている。

11 Eric Dolphy - Out There

参加者にクラシックのチェロが好きという人がいて、「チェロが入っているジャズもあるよ」ということでプレイした。
というより、今回のイベントで一回は Eric Dolphy をプレイしたいと密かに思っていた(願望がかなって嬉しい)。
Dolphy は敬愛するミュージシャンの一人で、彼が残した”When music is over, it’s gone in the air. You can never capture it again.” (音楽は終わったら消えてなくなってしまい、二度と取り戻すことはできない)という言葉はジャズの精神を体現した名言。

Isao Suzuki with String Band - Nica's Dream(プレイリスト非収録)

ベースが好きだという参加者からのリクエストに応えて、しんご通信さんがプレイした曲。
初めて聴いたけど、なんやこれ、問答無用で格好いいぞ。。。
鈴木勲さんは御年80代の超ベテランだが、いまも現役で若手のDJと演奏したりしているらしい。
皆で「こんなふうに年を取りたいなー」とか話しながら耳を傾けた。
残念ながら Spotify の音源が無かったので、youtube でどうぞ。
youtu.be

12 Rahsaan Roland Kirk - Blacknuss

参加者が持ち込んでくれた寺田本家「醍醐のしずく」を飲みながら、何人かで「これに合うジャズは無いよな~」と話していたが、その場では妙案が出なかった。
そして、帰りの電車でひらめいた。
盲目の偉大なジャズリード奏者、というよりブラック・ミュージックの怪人 Roland Kirk なら行けるんじゃね?
テーマは「プリミティブ」。

13 Jack McDuff - Oblighetto

もう一つ、今回は熟成した生酒が一本も無かった(自分で持っていけば良かった…)。
それが心残りだったので、帰宅してから自分なりに「生熟ジャズ」を考えてみたら、60年代のソウル・ジャズに行き当たった。
テーマは「コテコテでんがな」。

▼クロージング

14 Steve Reich - Electric Counterpoint: I. Fast

最後に、クールダウンを意図してミニマル・ミュージック(現代音楽)をかけた。
ジャズギタリストのパット・メセニーが参加しているのでアリかなと。
マニアックな選曲だったが、一部の参加者にウケて良かった。

-----

参加者から「またやってよ!」という嬉しい声をたくさん頂いたので、ぜひ第2回をやりたと思う。
冬にやるなら「ジャズ×燗酒」がエエかな。。。

とにもかくにも、関係者と参加者の皆様、自分の拙い段取り&進行をサポートして頂きありがとうございました!
また遊びましょう!

Special Thanks to Shingo, Kohei, Saki & SAKE Street
sake.st

<了>

「日常に溶け込んだ嗜好品」について

この前、Twitterにこのような投稿をした。

特に深い考えもなく書いた文章だが、後から考えたことがあったので、この場につらつらと書いてみようと思う。
全く役に立つ内容ではないし、結論めいたものは無いので、気楽に読んでくださいませ。

―――――

自分は現在、SNSTwitterしか動かしていない。
Facebookはロム専、Instagramはアカウントを持っているだけ。)
なぜTwitterが良いかというと、自分の「日常」を「ある程度」さらけ出せるからだ。

例えば、食卓の写真を投稿する場合を想像してみる。
FacebookInstagramだと、センス良く盛り付けられた料理、洒落たテーブルウェア、背景のインテリアなど、画面内の全てに気を配らなければいけない空気がある。
一方、Twitterのタイムラインにはもっと多種多様な写真が並んでいて、その中には「日常」らしい写真も数多く含まれる。

とは言え、Twitterも「完全な日常」とは言えない。
「日常」が「高頻度で同じことを繰り返す」ことだとすれば、あまりにも頻度が高い(=日常性が高い)ものは題材とならない。
例えば、自分は毎晩「ご飯」を食べるが、それをTwitterに投稿しようとは思わないし、他者が毎晩「ご飯」の投稿をするのを見たいとも思わない。


冒頭の話題に戻ると、自宅の冷蔵庫には「黒ラベル」、リビングには「黒松剣菱」が常備されている。
そして、「黒ラベル」は春夏秋を中心にだいたい年間120日(週2回ペース)、「黒松剣菱」は秋冬春を中心に年間60日(週1回ペース)くらい飲んでいる。

これらを常備し、コンスタントに飲んでいる理由は二つあって、「普段使いに適した味わい」と「いつでも、どこでも買えること」だ。

「サッポロ黒ラベル」の丸みがあって濃すぎない味わい、「黒松剣菱」の甘・酸・苦・旨を兼ね備えつつ後口の捌け(キレ)が良い味わいは、ふだんの家庭料理と合わせやすい。
そんなお酒が、近所のスーパー、コンビニ、ドラッグストアで普通に買えてしまう。
これらを選んでおけば、最近流行りの「ペアリング」とか難しいことを考え必要はなく、幼い二人の息子のお行儀の悪さに翻弄されながらでも晩酌を楽しむことができる。

何と言うか、「これ“が”良い」というよりは、「これ“で”良い」から選んでいる。
「これ“で”良い」というのは、まさに「日常」なのだろうと思う。

とは言え、昔から「黒ラベル」と「黒松剣菱」が「これ“で”良い」だった訳ではない。
もう10年以上も酒を趣味とし、それなりに様々な種類の酒を飲んだ上で、この二本が「自分に合う」と考えるに至ったのだ。


酒以外のジャンルだと、「毎朝のコーヒー」もこれに近い。
20代後半~30代前半にかけてコーヒーにハマっていた時期があり、世界各地の色々なコーヒーを飲み、道具にも凝っていた。
結婚を機に深追いはやめてしまったが、毎朝豆を挽き、ハンドドリップでコーヒーを淹れる習慣は継続している。

そして、「自宅での朝コーヒー」をTwitterに投稿することはない。


「嗜好品」と「日用品」は対義語とされ、世の中全てがどちらかに属するかのように言われる。
しかし、自分にとっての「黒ラベル」、「黒松剣菱」、そして「自宅の朝のコーヒー」は、どちらにも属さない。
何と言うか、「日常に溶け込んだ嗜好品」とでも表現すれば良い存在となっている。

ここまで来ると「誰にどういわれようと好き」なので、わざわざSNSで承認欲求を満たす必要も無い。
日常の中で、静かに、自分の暮らしを豊かにしてくれる。

そして、きっと誰もがこういう存在を持っているのだろうと思うと、楽しい気分になる。

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おわり。

勢いだけでTwitterの「正調粕取焼酎専門アカウント」を作った。

twitter.com

実は昨年末から、正調粕取焼酎について何らかの方法で発信しようと考えていたが、バタバタとして放ったらかしになっていた。
その一環として先月に上記のアカウントを作っていたのだが、今晩ようやくそこに魂を吹き込んだ。つまり、最初のツイートを投稿した。
そのツイートは、熱い思いが滾るあまり14連投のスレッドとなってしまい、極めて読みにくいと思われるので全貌をこちらに載せておく。

連続ツイート:独断と偏見による「正調粕取焼酎の3大魅力」。
1.農村の暮らしと歩んできた「悠久のロマン」
2.地元のみで消費されてきた「ザ・地酒」
3.今こそ世界に問いたい「比類なき個性」
行きます。

1.農村の暮らしと歩んできた「悠久のロマン」
正調粕取焼酎とは、「酒粕」を主原料し、蒸留時の通気性確保を目的として「籾殻」を混ぜ込んだ焼酎です。起源は正確に分かりませんが、江戸時代の17世紀後半以降の文献には、その製造方法が記されています。
酒粕は栄養価が高く良い肥料となるのですが、アルコール濃度が高すぎると植物に害を与えます。このため、農民たちは酒粕を蒸留して焼酎を造り、残った粕を肥料として利用しました。つまり、正調粕取焼酎は「副産物」という見方もできます。
また、正調粕焼酎は古くは「早苗饗(さなぶり、さなぼり)焼酎と呼ばれていました。「早苗饗」とは田植えの後のお祭りのことであり、そこで正調粕取焼酎が「祝い酒」として振舞われていたのです。きっと労働の後の一杯は最高だったでしょうね。
このように、正調粕取焼酎は、当初から農村・農民の手で育まれ、継承されてきました。そこには派手な歴史のエピソード、技術革新のストーリー、市場を席巻した武勇伝などはありません。だからこそ、逆に、かつての日本の農村文化がそのまま封じ込められている、そんなロマンがあります。

2.地元のみで消費されてきた「ザ・地酒」
近代以降、日本酒や芋焼酎、麦焼酎などは、輸送手段の発達や技術革新などによって広範囲へと流通するようになり、全国ブランドの大企業も生まれました。しかし、農村とともに生まれ育った正調粕取焼酎は「地元の、地元による、地元のための酒」であり続けました。
それ故、農村の近代化とその後の衰退によって正調粕取焼酎の存立基盤が揺らぎ、また、飲み手の嗜好の変化で癖の強い味わいが敬遠されたことによって、正調粕取焼酎の製造元は大きく減少し、今や絶滅の危機に瀕していると言っても過言ではありません。
「酒は世につれ、世は酒につれ」と言われる通り、正調粕取焼酎の退潮は時代の流れなのかも知れません。でも、それは同時に貴重な「地域文化」の一つが失われてしまうことを意味します。世がどうであろうと、我々には守るべきものはあるのではないでしょうか。自分には、あります。

3.今こそ世界に問いたい「比類なき個性」
正調粕取焼酎の味わいは、米の甘味、籾殻の香ばしさ、蒸篭の木の香りなどが主体です。さらに、熟成するとチョコレート、ナッツのような風味も加わります。その味わいは決して万人受けするものではなく、人によっては「畳」などと表現されることもあります。
個人的には、正調粕取焼酎を特徴づける「籾殻香」は、スコッチの「ピート香」に匹敵すると思っています。「籾殻」も「ピート」も、身近な場所の原料を使う事によって付加された香りであり、決して美味探求の結果ではありません。つまり、「土地に根ざした文化の香り」と言えると思います。
ちなみに、西洋には、ぶどう粕を原料とした「グラッパ」や「マール」という蒸留酒があります。これらと正調粕取焼酎は、原料が全く異なるにも関わらず、なぜか共通の風味があります。これも、「自然の恵みを余すところなく活かす」という「人類共通の文化の香り」なのかもしれません。
このように、正調粕取焼酎の「ローカルに根ざした風味」は、世界の蒸留酒と比べても決して遜色ないものであり(比べる必要など無いのですが、敢えて…)、いまこそ世界に問われるべきのではと思っています。(当方一介のアマチュアにつき、その結果玉砕しても責任は取れませんが…)

以上、このアカウントを始めるにあたって、自分の熱い思いを書き連ねてみました。いつまで続くか分かりませんが、今後とも宜しくお願い致します。

そんなに長くはないが、書ききった感がとてもある。
なので、以降はゆるゆると運用していこうと思う。

<了>

自分の酒マリアージュ/ペアリング歴(?)と地理人として考えたこと

(長文です。無駄に長文です。)

なんか昨日から、修羅の世界ツイッターランドで「日本酒ペアリング」の議論(?)が大いに盛り上がっている。
自分は事の発端を知らないし、もちろん全ての発言を見ている訳ではないが、炎上とまでは言わなくとも少々荒れている感じだった。
最初に火をつけたのは日本酒ペアリングに否定的な人たちで、それに対して色々な意見が飛び交っていたようだ。

自分は他の方の議論には直接絡まず傍観していたが、興味のあるテーマなので、たまに自分が思うことをソロでぼそぼそ呟いていた。

実は、自分は「日本酒ペアリング/マリアージュ」が好きだ。
元々料理が好きで、その後に日本酒、さらには他の様々な酒にはまった身としては、当然の流れなのかも知れない。
そういう経緯があるので、自分にとって「日本酒ペアリング/マリアージュ」は、外で「体験する」というよりは、家で「やる」ものだという感覚がある。

では、自分はどのように「酒(日本酒に限らず)のペアリング/マリアージュ」という言葉を使ってきたかと、過去のツイッターを検索してみたら色々と引っかかったので、記事にまとめてみようと思い立った次第。

(注)「ペアリング」と「マリアージュ」は違う概念だという人も多いが、定義が混乱していて未だ定説は無いようだし、自分としては事実上同じ意味だと捉えている。

■過去のツイートに見る自分と「マリアージュ/ペアリング」

「好相性」

ツイッターを始めたのは2010年10月で、日本酒にハマって数年たっていたと思う。
この頃から日本酒と料理を合わせて楽しんでいたが、暫くは「マリアージュ/ペアリング」という言葉は使っておらず、もっぱら「相性が良い/悪い」と表現していた。



特にこの頃は、カレーと日本酒の相性にご執心で、日夜実験を重ねていた模様。

2011~2015年頃は、自分で「マリアージュ」という言葉は使っていないものの、他の方による「マリアージュ」ツイートを引用したりしているので、既にかなり関心を持っていたものと思われる。

タモリ倶楽部と焼酎のマリアージュ


そして、自発的に「マリアージュ」という言葉を使用した初めてのツイートがこれである。
酒と食ではく、酒とテレビ。
今でも、タモリ倶楽部と「焼酎の薄くなったロック」とか「バランタインの薄めの水割り」とかとのマリアージュは最高だと思っている。

「マリアージュは恥ずかしいからペアリング」理論


そして、どうやら2016年には「ペアリング」という言葉に出会っていたようだ。
自分は言葉の「俺定義」を考えるのが好きで、ここでも「ペアリング」の俺定義をカマしている。
うん、なかなか良いこと言うではないか。実は今でも「マリアージュ/ペアリング」の違いなんてその程度だと思っている。

焼酎とラグビー動画のマリアージュ


これは「食と酒」ではないマリアージュの第二弾。
その後、ラグビーのお供の座はウイスキー(スコッチ、アイリッシュ)に取って代わられた。

喧嘩マリアージュ


喧嘩はマリアージュと言えるのだろうか?
格闘技の名勝負を見ているような感じだったのか?

「あー美味い」「あー美味い」の往復


こういうのが一番好きなんですよ。
「凸と凹で合わせる」とか「第三の味を生み出す」とかそういう緻密な感じでなく、何となく共存する感じ。
日本酒(特に火入れの日常的な味わいの酒)ならではでしょう。

「これでいい」マリアージュ


これも上のと同じ路線。
但し、ちょっと「マリアージュ」とか「ペアリング」に疲れてきた雰囲気が漂っている。

「マリアージュ」じゃなくて同調


そこはかとなく漂う「日本酒マリアージュ」に対する疑念。

焼酎と日本酒のペアリング


俺たちの「玉箒」。
たまに液体と液体のペアリングをやってくれるのが楽しい。
「ビールとトマトジュースを交互に飲む」というペアリングもあったな。

焼酎と甘味のマリアージュ


もう最高なんですよ。
甘いものが好きな方は、是非「米焼酎or泡盛×和菓子」を試して欲しい。

そして今晩のペアリング


何事もなければ「マリアージュ」を使っていたと思うが、時代に日和って「ペアリング」を使ってしまった。
自分の「マリアージュ/ペアリング」探求の原点であるカレーに戻ったということで、感慨もひとしお…という程でもない。

結論:日本酒の「ペアリング/マリアージュ」を「やる」のは楽しい

賛成も反対もございません。
自分は自分で楽しむ。
他人のことはどうでも良いです。

■いま日本酒のペアリングについて思うこと

自分が日本酒の「ペアリング/マリアージュ」を考える上でとても参考になった文章を貼る。

出典:日本酒のこれから
日本酒のこれから - ほぼ日の塾 発表の広場

以下、引用。

白樫(剣菱酒造の社長)
日本酒の会を開催するために、
フランスに行く機会も多いんですけど。
その時に、
「日本はこんなにも、
食べ物にうるさいのに、
どうしてソムリエがいないんだろう?」、
と思ったんですね。
ともみ(日本酒ライターの方)
今ようやく試みがあるくらいで、
歴史的にソムリエみたいな人はいませんね。
白樫
考えていくと、日本は、
地元の料理と地元の酒を合わせていたら、
外れることなかったんじゃないか、と。
人の大移動みたいなことも、
そんなにある国じゃないですしね。
ともみ
フランスのワインだと、
ぶどうを育てるのに適しているのは、
痩せた土地ですものね。
他の作物がなかなか育たない。
だから、
よその食べ物と合わせて提案することが、
必要とされたのかもしれませんね。
白樫
酒にその地域性が残っていたのは、
味が集約される前の酒。
たとえば、昔の1級2級の地元の酒。
それって実は今思えば、宝の山だなあと。
初めての土地を訪れて、
地元の居酒屋さんで地元の酒と食事があれば、
100%おいしいものを味わえる。
これって観光資源になるし、面白いですよね。
穂坂(農大の先生)
うんうん。
白樫
フランスで、ソムリエさん相手に、
日本酒の説明をさせてもらったんです。
その時に
「日本酒は地域特性による偏りって、
どれだけ、どうあるんですか?」という質問があって。
ともみ
あちらの方はそういう視点で見ますもんね。
白樫
それが、今フランスに入ってるお酒って、
ほとんどが純米大吟醸系で。
みんな山田錦を使って、かつ香りの華やかなもの。
正直地域特性っていうのは、出にくい。
そういうものが流通しているんです。
穂坂
(地域性は)出にくいですね。
白樫
酒蔵ごとの特性っていうのはありますけど、
「この地域はこうです」っていうのはなかなか。
「あぁ、ないです…」と。
穂坂
そうかもしれませんな。
白樫
「水のミネラルに違いがあるのに、
なぜ偏らないんだ?」って。
本当はあって、日本国内では流通してるんだけど、
今フランスに輸入されている物にはない。
ソムリエさんたちはみんな、
不思議そう、そして残念そうな顔をしました。
ともみ
あぁ…。
白樫
今後は、世界も見ていくからこそ、
もっと地元に目を向けなければならない。
そう最近強く思うんです。
大昔から江戸を見てきたうちが言うのも、
何なんですけど(笑)

引用は以上。

そして、これに対して、地理を専門とする自分としての解釈をつらつらと書く。

安定した大陸であるヨーロッパや米国は、荒野の場所はひたすら荒野、肥沃な場所は延々と肥沃という感じで、一つ一つの地形地質のユニットが大きい。
つまり、狭いエリアだとわずかな種類の産物しか手に入らないので、遠くのもの同士をわざわざ合わせる文化が発達する。

それに対して、4つのプレートの境界にあって地殻変動でもみくちゃにされ続けている日本は、様々なタイプの地形や地質が狭いユニットにひしめいている。
つまり、狭いエリアでいろいろな種類の産物が手に入るので、同じ地域のもの同士で済ませる文化が発達する。

なので、先ほどの対談で交わされていた「環境の違いが飲食の文化に影響を及ぼす」という議論は、とても納得できる。

日本酒でペアリング(マリアージュ)が求められるようになったのは、酒造技術の発達によって「地域から解き放たれたモダンな酒」が出現したからだと思う。
高度な技術によって地域から解き放たれた酒は、その一方で「根無し草」でもある。そこに新たな息吹を与えることが出来るのが「ペアリング/マリアージュ」ではないか、という解釈もできるだろう。

そして、やはり真の「地酒」は地元に残った普通酒であって、そこには「ペアリング/マリアージュ」などは不要なのだと思う。

いやぁ、こういうふうに、誰にも求められていない事をぐちゃぐちゃ考えるのはとても楽しい。

==========

最後に、これでも読んでほっこりしてくださいませ。
何を吠えても、結局ユーモアには敵いませぬ。。。


<了>

酒本書評(パクリ):萩尾俊章「泡盛の文化誌」

先日何気なくツイッターを眺めていたら、面白そうな企画を見つけた。

なるほどなー。
確かに本屋の料理本コーナーに行くと、あまりの数にどれから手に取って良いのやら…という感じになるので、その指針となるとても良い企画だと思う。
そして、企画内容もさることながら、「食本書評」という言葉にピンときた。

ああ、自分なら「酒本書評」というちょっとした「まねっこ遊び」ができそうだな。。。
酒に関する本なら、専門書も含めて無駄に読んでいるし。。。

ということで、ちょうど読んでいた泡盛の本について書いてみることにした。

選んだ本は、萩尾俊章「泡盛の文化誌」。

泡盛の文化誌―沖縄の酒をめぐる歴史と民俗

泡盛の文化誌―沖縄の酒をめぐる歴史と民俗

  • 作者:萩尾 俊章
  • 出版社/メーカー: ボーダーインク
  • 発売日: 2005/01
  • メディア: 単行本

渋谷の沖縄料理屋で友人らと泡盛をしこたま飲み、その素晴らしさに改めて感動し、もっと知りたくなって思わずこの本をを買ってしまった。

結論から言うと、この「泡盛の文化誌」は本当に素晴らしい本で、泡盛に関して読んだ最初の本がこれで良かったと思う。
以下、つらつらと感想を書いていく。

■はじめに

自分が好きな本は、「はじめに」に込められているメッセージや着眼点が素晴らしいことが多い。
この本も例に漏れず、「はじめに」が奮っていた。

著者は言う。従来の本は『エッセイや酒造所・銘柄紹介に重きが置かれ、歴史や文化についての記述が少ない』ので、『意を決して執筆することにした』と。
人がやっていないことをやろうとする心意気。そして、自分の専門である「地理・歴史・文化」からのアプローチということで、ますます期待が高まった。

そして最後に、『「酒は飲むとも飲まれるな」という戒めは酒飲みにとって、自分自身にとっても耳の痛い格言である。』と言いつつ、柳田国男氏の『酒は本来飲まれることにその本旨があった』という名言を引用するあたり。とことん酒にダイブされる方のようで親近感が沸いた。。。

■本の内容と印象に残ったこと(ネタバレにならない程度に)

全体の構成は、世界の酒の歴史からズームアップして泡盛に迫り、続いて古い方から歴史を紹介し、最後に酒の民俗を紹介するというオーソドックスなもの。

第一章「世界の酒文化」の前半「世界の酒と日本の酒」は、いろいろな本で語り尽くされている話題であり、斜め読みのつもりで読み始めたが、「浅の広く」のくせに単なる羅列に感じさせない謎の文章力で、飛ばすことなく読まされてしまった。酒全般に対する見識の高さがなせる業か。

そして、第一章後半の「泡盛の源流をたどる」こそ、この本の白眉だろうと思う。
中国南部でのフィールドワークの様子はエキサイティング、かといってそこに固執しすぎる事なく、多面的に状況証拠を積み重ね、独自の論考を加えていく様子がたまらない。
そのうえで、定説とされてきた「タイ(シャム)伝来説」をことさらに否定するでもなく、『様々なもののルーツを考える場合、単一的・一方向的に伝来を考えることは慎まなければならない。人間の交流は多面的・重層的であり、両方向的なこともある。』と締めくくる。いやー、痺れます。。。

第二章「泡盛の特徴」は、教科書的に泡盛の製法、名前の由来などを解説している部分。技術についても言及しつつ、かと言ってあまり深堀しすぎず、難しそうな化学式などが出てこないところが良い。
最も収穫だったのが、泡盛の原料としてタイ米を使うようになったのが「明治時代以降」だと分かったこと。自分の勝手なイメージとして、貿易が盛んな琉球→沖縄では、昔から泡盛の原料米を輸出していたのだろうと思っていたが、そうではなかったのか。。。
輸入に至った主なきっかけは「明治時代の米不足」ということだが、これは、同時期の山梨県・長野県で、やはり米不足を契機にワイン醸造が始まったことと重なるのが面白い。

第三章~第五章は泡盛の歴史。
第三章「王国時代の泡盛」で特に印象深かったのは、江戸時代の日本国内における泡盛の評判の高さ。飲用としてはもちろん、薬用や刀の消毒用などの需要もあったそうだ。
それに関して、『17世紀後半には各藩では泡盛の配給を待ちきれず清酒の新粕を酒屋で蒸留させ、粕取り焼酎を常備させるようになる。』との記載がある。
ここで俺たちの粕取り焼酎が華麗に登場(昨年から正調粕取焼酎にハマっているので)。

余談だが、琉球の人たちは、あの癖が強い味わいの粕取り焼酎をもらって喜んだんやろか?うーん。。。

ついでにもう一つ余談。酒好きの尚泰王が、飲みすぎをたしなめた側近に「腐れ儒者、腐れ樹者」と言って追い払った出来事は、漢の高祖・劉邦を意識していたと思われる。自分のような中国古代史好きはここでニヤリとするだろう。

第四章「近代の泡盛」から第五章「現代の泡盛」で描かれている泡盛の近現代史は、ひたすら時代に翻弄されていた感じがして、読んでいて少し辛かった。
その背景には、泡盛が琉球王国の「國酒」から、日本国の「辺境酒」に変わったこと、そして本土より圧倒的に太平洋戦争のインパクトが大きかったことが影響しているのだろう。(ここで言う「辺境」というのはあくまで「当時の日本国でそういう風に見なされていた(であろう)」という趣旨の表現なので、誤解無きよう。)

酒マニアとしては、酒税の徴税強化の一環として自家醸造が禁止されたことにより、かつて島ごとに多様な原料を用いて作られていた酒が、ほぼ泡盛に一本かされていったという事実が大きな衝撃だった。
自分はこの本を読む前に「沖縄の酒文化=泡盛」という固定観念を持っていたが、それは近代になって「モノカルチャー化」された後の姿だったのだ。
今から考えてみれば、沖縄諸島の範囲はとても広く、島ごとに地形・地質・気象などが異なり、それに応じて様々な酒が造られていたであろうことは想像に難くない。自分は地理を専門としていながら、そこに思い至ることができなかったことが悔しくてならない。

最後の第六章「沖縄の酒文化」は、酒にまつわる民俗をアラカルト的に紹介している部分。
沖縄の伝統的な酒宴のスタイルとか、沖縄では口噛み酒が近代まで残されていた話とか、この前沖縄料理屋で印象に残った酒器「カラカラ」の話とか、色々と興味深かった。

■まとめ&余談

この本は200頁弱とそれほど分厚くないが、凄まじい量の情報が詰まっている。(なので、自分の文章ごときではちっともネタバレにはならない。)
これを丹念に読めば、泡盛の「文系」的な側面はほぼ網羅出来てしまうかも、くらいに思わせてくれる。(自分はまだまだ丹念に読めていない。)

泡盛に興味がある人にはむちゃくちゃオススメしたいが、基本的に学術書であり「今日すぐ役立つ情報」とかは無いので、かなり向き不向きはありそう。
そして、理解の前提として、酒全般の包括的知識と、沖縄の地理・歴史の知識がそれなりに求められると思う。

最後に余談。
ちょうど同じころ、「沖縄たべもの語り」という素晴らしウェブサイトを見つけた。
沖縄たべもの語り
こちらは基本的に技術畑であり、化学式などがバリバリ出てくるが、歴史や文化に言及する視野の広さもあって本当に素晴らしい。

「泡盛の文化誌」から文系的に、「沖縄たべもの語り」から理系的に、そしてもちろん、もっと泡盛を飲んで、飲まれて、その世界を楽しんでいきたい。

<了>

浦安を歩いてきた。

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クリスマスの日、仕事を休んで浦安を歩いてきた時のことを書く。

 

浦安といえば、一般的には、広大な埋立地と、そこにある「夢の国」と称して善良な親子から金を巻き上げるD帝国のイメージが強いだろう。

しかしながら、東京メトロ東西線の浦安駅周辺は古くから陸地であり、かつてはのどかな漁村集落であったらしい。

そのことを随分前に放映されたNHK「ブラタモリ」で知り、いつか歩いてみたいと思っていたが、つい先日のクリスマス、ふと思い立ち、仕事を休んで歩いてきた。



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浦安は、我が家がある神奈川県伊勢原市から、電車で2時間近くかかる。

その道中、改めて浦安駅周辺の地図を眺めると、道路が不規則に入り乱れており、水路もいくつか現存するということで、否が応でも期待が高まる。 

 

 

その一方で、以前から気になっていた「魚市場」のことを調べてみると、何と今年の3月末で閉鎖したとのことで、大きな衝撃を受けた。ああ、昼食は魚市場でと密かに期待していたのに。。。

 

浦安魚市場が3月31日で閉場。跡地はどうなる? | 浦安に住みたい!web

 

とにもかくにも、まずは浦安駅で下車して、すぐ北側の旧魚市場に向かった。

既に魚市場が入居していたビルは取り壊され、周囲に残された飲食街と商店街もかなり寂れていた。

というか、明らかに資材の撤収と思しき風景が見られたので、ここも近いうちに再開発の対象となるのかもしれない。

 

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魚市場の末期を見届けた後に、適当に写真を撮りつつ駅の南側に移動する。

さすがに駅周辺は開発が進んでしまっていたが、その片隅に老舗の焼き蛤屋さんを見つけた(が、売れ切れで買えなかった)。

 

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まずは神社を目指すのがよかろうと思い、漁村地区の東寄りにある清龍神社にやってきた。

年始に向けた準備の様子を眺めながら奥に進むと、なかなか見事な「富士塚」があった。この上から現在も富士山が見えるかどうか確かめてみたかったが、残念ながら立ち入り禁止だった。

 

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神社の門前には、銭湯と掘割(境川)、そして参道と思しき良い感じの道が伸びている。

 

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この道をまっすぐ進むと、銭湯がさらに2軒(うち1件は廃業と思われる)、良い感じの洋風建築などが点在していて、かつてメインストリートだったであろうという風情が漂う。

 

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そのまま500mほど進むと道路は左に折れ曲がった。

現在は見ての通り風情のかけらも無いが、折れ曲がりの角に小さなお寺があるので、かつては味わい深い「辻」の風景が見られたのではないかと想像される。

 

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境川を超える橋から、いかにも老舗っぽい煎餅屋が見えたので、家族へのお土産がてら買うことにした。いかにも歯ごたえがありそうな煎餅を手に取ると、お店のおばさんが「ご自宅用なら、壊れせんべいのお徳用パックがありますよ」と親切に教えてくれた。

 

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※買った品物(帰宅後撮影) f:id:wassy1974:20191226114032j:image

 

浦安は昭和46年には漁業権を完全に放棄しており、漁村でなくなってからだいぶ時間が経っている。今日であは分かりやすい漁村風景を見ることはできないが、それ故に、煎餅屋の近くで漁村の残像っぽいものを見ることができたのは嬉しかった。

 

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境川の北側には、古めかしい雰囲気の住宅街が広がる。

平坦な地形にもかかわらず道路が曲がりくねっており、細い路地も多い。取り立てて見どころがある訳ではないが、見えそうで見えない向こう側を探索しながらずんずん進むのが楽しい。

 

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旧市街をひとしきり歩いたので、次は旧江戸川に沿って歩くことにした。

開放的な風景だが、空間を持て余して少し寂しい気分になったので、以前にも増して黙々と歩いた。

なお、期待していた富士山は見えなかった。

 

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堤防を北上して境川を渡ると、船宿のちょっとした密集地帯にたどりついた。

平日(しかもクリスマス)にも関わらず、思いのほか賑わっていて、駐車場は釣り人の車で満杯だった。

 

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ここまでだいたい3時間、その間結局、飲まず食わずだった。

夕方に友人と飲む約束をしていたので、これにて街歩きは終了。

浦安はとても良かった。「また来たいか?」と言われると「正直うーん。。。」という感じだが、何というか、この日の気分にピッタリだった。冬の薄曇りという条件も良かったのではと思う。

 

おしまい。

 

追伸

浦安の歴史と地理に関しては、この文章が短いながらもなかなか興味深い。

www.sbbit.jp

夏休み帰省旅行<前夜祭 in 小田原>

【速報】わっしー氏、夏休みに突入いたしました。しかも14連休(勝利のガッツポ)!!!

 

夏休みの最初の一週間は兵庫県の実家に滞在することになっていて、妻&息子ズは先に新幹線で旅立った。

そして、土曜日のラスト業務をやっつけた父ちゃんは、青春18きっぷで後を追うのだ。

 

この日は、小田原駅00:31発の夜行快速「ムーンライトながら」に乗車することになっていたので、早めに小田原入りして飲み歩くことに。

 

最初は、以前から独特の店構えが気になっていた本町の中華料理「ロリン」に向かったが、「ウチは予約グループ専用です」ということで、残念ながら入店できず。。。

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さらに、もう一つのお目当ての「大学酒蔵」も満席で入れず。。。

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連続撃沈で若干やさぐれた気分になっていたので、そんな気分を癒してくれそうな中華料理「日栄楼」に入ることに。

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いつ来てもここは落ち着くし、独特の餃子(登録商標)が旨い。

そして、この日の収穫は揚げワンタン。

甘酢あんにディップして食べる他では見ないスタイルで、これがビールとめちゃくちゃ合うのだ。

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あまりにも居心地がよく、また、スマホでラグビー日本代表の試合を観戦していたこともあって、だいぶ長居してしまった。

 

さて、次に行くか。

 

しばし夜の散歩の後、小田原駅ほど近くの「すたんど割烹 杵吉」に入店。

ここは4年ぶりくらいに来た。 

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以前と変わらぬすばらしい佇まい。これだけで百点満点。

 

いつものように料理はお任せ(というか、お任せしか無い)。

前の店で油っこいものを食べたので、滋味深い野菜料理が体に染み渡る。

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お母さんと他愛もない話をしつつ、ハイボールと芋ロックをチビチビ。

寛ぎの時間を満喫していたが、花火大会帰りのややオラついた感じの団体さんがなだれ込んで来たので、早目に退散することに。

ありがとうございました。また来ます。

 

ここから1時間半は、小田原駅のコンコースのベンチで、缶チューハイを飲みながらダラダラしていた。

 

そして、ついに旅立ちの刻(トキ)。

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翌日の小旅行に期待を膨らませる間もなく、着席直後に寝落ちした。

 

明日は、どっちだ。

<続>

板橋で蒸留酒を買い、場末で飲んできた。

先週の金曜日のこと、不意に夕方以降の予定が空いたので、板橋で遊んできた。

まずは、東武東上線の下板橋駅で下車。

なんてことない駅舎だが、周辺を含めてそこはかとなく生活感が漂うところが良い。

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第一目的地は、ウイスキーショップの「M's tasting room」。

これで二回目だが、前回は店主の吉村さんとお会いできなかったので、軽くリベンジな感じ。

吉村さんはすこぶる紳士で、初心者の自分にも暖かくアドバイスをしてくださった。

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この日はセールということで、有料試飲300円以下のアイテムが試飲無料だった。

途中で合流した地元民のo君と一緒にあれこれ色々と試して、良い気分で四本購入した。

ここはオフィシャルのウイスキーは少なくて、ボトラーズがメインの品揃えだが、ほとんどのアイテムが有料試飲できる。

あと、店主の吉村さんによる自家ブレンドウイスキーも楽しくて旨い。

自分がよく利用する目白の田中屋とか銀座のリカマン777よりもはるかに小さな店で、アイテム数は少ないが、店主の個性が出ていて本当に楽しい店だと思う。

caskvillage.com

 

さて、買い物欲が満たされたので、次は飲みモード。

ここは板橋を熟知するo君に身を委ねたが、2軒連続で出禁という名の満席を食らって、彼への信頼が早くも揺らぐ。。。

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上の「明星酒場」はかなりプロユースな感じで、我々のような余所者は入店困難な感じだった。。。

 

気を取り直してo氏に最後のチャンスを与えたところ、三度目の正直で結果を出しよった。

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いやー、この「平家」は最高の居心地やったね。

こういう空間で食べるハムエッグとか、ジャパニーズスタイルで皮を分厚くしただけの水餃子とか、たまらんねー。

そして、最後の「つけ麺」がちょっと面白くて、つけ汁が最近流行系の濃厚スープではなく、完全に冷やし中華のタレだった。

これは名前を「つけ冷やし中華」に変えたほうが良いだろう。そして妙に旨かった。

 

ここで蒸留酒マスターのe君も合流して、o君御用達の「北海」へ。

店に入ってほどなく、あのc氏も合流して、4人で酒マニアトークを繰り広げた。

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この「北海」もすこぶる居心地が良かったなー。

箸でつまむとホロリと崩れるマグロ寿司は、職人の技が光る逸品!?

あと、どぶろくを枡からこぼして注ぐのは初めて見た。

 

o君曰く、板橋区は実はめちゃくちゃ広らしく、今回遊んだエリア(JR板橋駅界隈)は、板橋の中の板橋、板橋オブ板橋とのこと。

他にも東武東京線の大山駅界隈とかも楽しそうなので。これからもちょいちょい板橋遠征をしたい。

 

JR板橋駅の駅舎はなかなか渋かったんだが、改装が着々と進められていた。

後で調べてみたら駅ビルとタワマンが立つらしい。

タワマンじゃなくて、リカマンができれば良いのに。。。

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最後に、M's tasting room の釣果。

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一番左の「トマーティン18年」は、旧ボトルかつ半額投げ売りだったので、義憤にかられて救済した。e君曰く「味が硬いので放置する方が良い」らしい。酒の放置プレイは大得意なので全く問題なし。

次の小さな四角い瓶は、吉村さんオリジナルブレンデッド。これは試飲して好みだったことに加え、「アルコール度数55.8度」にも惹かれて購入。蒸留酒においては「度数は正義、度数こそ正義」だ。

その隣の背が低いやつはドイツのジン「モンキー47」。リアルとかTwitterとかで「ドイツのジンが美味い」という声を複数聞いたので、最初に見つけたドイツのジンを買ってみた。

一番右の「レダイグ13年」はボトラーズもの。ここの蒸留所はもともと大好きで、なおかつ吉村さんに勧められたので迷わず購入。

ホクホクでございます。

<了>

 

追伸

自分が帰った後、残り三名は自分がフラれた寿司屋で楽しんだらしい。。。

ぐやじい。。。

こう暑いと露出したくなる気持ちは分らんでもないようような、そうでもないような。