人の見のこしたものを見るようにせよ。

すべての道は地理に通ず。

パワーワードとしての「地酒」の終焉とその未来

※長文、独断と偏見満載、結論無し注意。

地理好き、日本酒好きとして、この両方の漢字を含む「地酒」という言葉は、常に気になる存在だ。
今から約20数年前の大学生(地理学専攻)の頃、日本酒に全く興味は無かったが、それでも「地酒」という言葉に特別な有り難みを感じていた。

さて、改めて、「地酒」とは何者だろうか?

大学卒業から約10年後に思いがけず日本酒にハマり、そこからさらに10年、一時は日本酒関連の仕事にも就いていた。
その間に様々な資料を読み、周囲のプロアマの意見に触れ、そして自分でもそれなりに考えて来た。

■独断と偏見に基づく「地酒」の定義

世間では、大まかに言って以下の4つの定義があると思われる。もちろん複数を兼ね備えているとの解釈も有り得る。

①地方の酒蔵で造られた酒
これは1980年代「地酒ブーム」における定義であり、これがオリジナルだと思われる。この頃スターであった「越乃寒梅」(新潟)、「浦霞」(宮城)、「梅錦」(愛媛)などは、いずれも大都市から遠く離れた地方の酒蔵であった。

②大手以外の中小酒蔵が造る酒
もともと「地酒ブーム」というものは、灘・伏見の大手が造る大量生産・流通品へのカウンターカルチャーとして勃興したと考えられるので、①の仲間が増え、都市からさほど遠くない酒蔵も高品質の日本酒を造り始めたので、自然とこのような拡大解釈が生まれたのだと思う。

③酒蔵がある地域の原材料を使っている酒
今ではすっかり浸透している「地産地消」が盛り上がったのは、1990年代以降のことであり、その背景には農産物輸入自由化や食の安全問題などがあった。この社会的潮流を受けて、日本酒業界でも各地域独自の酒米酵母の開発が盛んとなり、地酒という言葉の定義にフィードバックされたのだろう。

④酒蔵がある地域で消費されている酒
周囲の酒友の中では、地元流通の普通酒本醸造こそが真の地酒だという意見も多い。この根底には、2000年代に入ってから、意欲的な中小酒蔵が東京向けの製品をこぞって開発・移出していることへのアンチテーゼが潜んでいるように思える。

これらの中に正解がある訳ではない。どれを選ぶかは個人の好みや思想信条次第だろう。
自分としては、③が地酒の定義であって欲しいと思う。

■「地酒」のパワーの低下

さて、この「地酒」という言葉のパワーは、個人的体感としてかなり低下してきていると思う。地酒が「特別な酒」だという有り難みは、かつてほど感じられない。
おそらく、言葉の定着から推定30年以上が経ち、その間に日本酒業界内外の情勢が大きく変わり、現実世界うまく対応しなくなったのだろう。
上記①→④のような時代を経た地酒の定義拡大は、言葉を現実世界に合わせていく動きにも見えるが、今日では余りにも散漫になってパワーを失っているのではないか。

「地酒」という言葉は、
まだまだ存在意義があるのか、
後継者たる言葉が必要なのか、
最早その種の言葉が必要とされていないのか…

■「ポスト地酒」の動向

ヒデ中田界隈から聞こえてくる「クラフトサケ」という言葉の提案は、「地酒」の後継者としての新たな「特別な酒」の定義、しかも海外市場を意識したものだと思れる。
但し、クラフトビールの亜流のような語感であり、イメージだけで全く内実が無いので、これから新たな価値を生み出せる予感がしない。
http://craftsake.jp

もう一つ注目すべきなのは、最近になってやたらと「日本酒は人(=技術)が造るもの」という言説が増えていることだ。
この背景は定かでは無いが、ここでは敢えて、「地酒」(地域の自然や飲み手に育まれた酒)の対抗勢力として捉えてみたい。

(個人的に、この「人(技術)優先主義」は日本酒の可能性を狭めるものとして激しく忌み嫌っており、何とかして引導を渡せなないものかと思案しているのだが、そのことは後日改めて書こうと思う。)

そんなことをつらつら考えながら、今日は地元の銘酒「丹沢山」を飲んでおります。
やっぱり地酒は美味い! 地酒は最高やで!!

f:id:wassy1974:20180320221541j:plain

<了>